| ローマ | ローマ教皇 | ローマ・カトリック |
| コンスタンティノープル | コンスタンティノープル総主教 | ギリシア正教会 |
| アンティオキア | (セレウコス王国シリア) | (アルメニア・シリア?) |
| イェルサレム | (キリストの生誕地) | 7cアラブ人に占領 |
| アレクサンドリア | (プトレマイオス王朝エジプト) | (コプト・エチオピア?) |
カトリックは「普遍的」ギリシア正教(英グリーク・オーソドックス)のオーソドックスは「正統」の意味
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| アリウス派 |
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ゲルマン人へ(のちに消滅?) | ||||
| アタナシウス派 | ネストリウス派 |
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ペルシャ・アジア内陸部・中国に渡り(景教)へ | |||
| 正統派 | 単性派 | アレクサンドリア | コプト(エジプト)教会 | |||
| エチオピア正教会 | ||||||
| シリア正教会 | ||||||
| アルメニア正教会 | ||||||
| 正統派(カルケドン派) |
東ローマ帝国 |
東方正教会 『イコン』 |
ギリシア正教会 ロシア正教会 セルビア正教会 ブルガリア正教会 ルーマニア正教会 日本ハリストス正教会 他 |
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| 西ローマ帝国(ローマ) | ローマ・カトリック | |||||
| プロテスタント | ルタ−派 | |||||
| 英国国教会 | ||||||
| その他 | ||||||
| ローマ教皇 | 在位 | |
| ケレスティヌス1世 | 422〜432 |
エフェソス公会議で「ネストリウス派」を異端とした。 |
| レオ1世 | 440〜461 |
フン族王アッティラを説得、イタリアから撤退 |
| フェリクス3世 | 483〜492 | コンスタンティノープル総大主教アカシウスを破門(東西教会35年間断絶状態に) |
| アナスタシウス2世 | 496〜498 | フランク族の王クロビスを改宗 |
| ホルミスダス | 514〜523 | ローマとコンスタンティノープルとの断絶を解消 |
| ヨハネス2世 | 532〜535 | 勅令で、全教会の司祭の指導者となる |
| グレゴリウス1世(大教皇) | 590〜604 | フランク族に接近。アングロサクソン、西ゴート族の改宗に成功 |
| ボニファティウス | 609〜615 | 東ローマ皇帝ファーカス、パルテノンを教皇に寄進。これを「聖マリアと諸殉教者」の記念とした。 |
ビザンティン帝国はイスラム教の国。イスラム教は偶像崇拝を禁止している。
ローマ教会は布教のためにも偶像崇拝を容認していた。
726年聖像禁止令
ビザンティン帝国皇帝レオン3世により発布、以降843年のコンスタンティノープル公会議まで聖像崇拝が禁止される。
東西教会の対立は悪化、ローマ教会はフランク王国を後ろ楯として行く。
| グレゴリウス3世 | 731〜741 | ロンバルト族の侵略に対してフランク王に助けを求める。 |
| ザカリアス | 741〜752 | ロンバルト族との和平、ビザンティン皇帝との関係改善、フランク王ピピン3世のクーデターを支援 |
| ステファヌス4世 | 768〜772 | フランク王シャルルマ−ニュ(カール大帝)との関係改善 |
| 800年 | シャルルマ−ニュ(カール大帝)の西ローマ帝国皇帝に |
| 867年 | 東西教会分裂 |
| 885年 | 法定で火や水攻めの裁判を禁じる。絵画や彫刻を奨励 |
当時権力を振るっていた貴族の影響で短命の教皇が続くが東フランク王ザクセン朝のオット−1世の助けで安定。
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