| イタリアツアー体験話 |
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| 日頃の不規則な生活のおかげで、時差ぼけもなく爽やかな朝を迎えた。前日日本での天気予報は雨。でも曇ってはいるものの空は明るい。朝食はパンとコーヒー。日本のパンより固くコーヒーは濃い。機内で食べたパンがとても美味しかったのでイタリアはパンが美味しいと思っていたが総じてホテルのパンは日持ちがするような固さだった。 一旦バスで水上バスの乗り場へ。バスはここまでしか入れない。それでも通行税は取られていた。 |
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ヴェネチア本島とホテルのあるメストレ(陸側)を結ぶ橋はムッソリーニが作ったらしい。確かにこれがなければ簡単には本島に入れない。 ヴェネチアは共和国時代、陸から攻められても最後には本島で…って考えていたいうのは納得。水上バスでカナル・グランテ(大運河)と思いきや外海(?)を行くそうでちょっと残念。それでも遠くにサンマルコ広場の鐘楼らしきものを見つけて感動。 |
| 曇っていたので景色は良いとは言えなかったけど石造りの町並みが水の上に並んでる姿は『ヨーロッパに来た!』っていう実感と静かな興奮を覚えた。船がついたところはホテル・ダニエリの目の前。地図を見て確認しなきゃ通
り過ぎる程シンプルなたたずまい。露店でも出るのか朝市のなごりかと思っていた高さ50〜60cmの台は海水が溢れた時の道になるそうで、満潮の朝は水浸しだったとか…。冗談じゃなく水没しない内にヴェネチアに行ってくださいね。 |
現地のガイド・ルイージさんと合流、まずはドゥカーレ宮へ。歴代のドーチェ(総督)の肖像や数々の絵画・大理石のモザイク…これらがこの裁判所・代々のドーチェの住居・国会会議場・投票所等をかねた建物をを飾っていた。共和国時代の政治の中心ドゥカーレ宮は大理石のモザイクの色も落ち着いているようにも思えてくる。 |
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![]() サンマルコ寺院 |
ここから続く『ため息の橋』を渡ったのは軽犯罪者で1、2年で刑を終える囚人だった。狭い橋の中は往路と復路が壁で仕切られたいる。当時の落書きの残った牢屋を見学してもどる。「床はきしむけど昔からきしんでるから大丈夫」流暢な日本語でガイドされるルイージさんの案内に笑いながら、あれよあれよと言う間に隣のサンマルコ寺院へ。明るい日射しが差し込みはじめた広場から入ると目が慣れるまで時間がかかる暗い内部 。床のモザイクがなんだか変。立ちくらみかしらと思ったら、地盤沈下&侵食で床がほんとに波うってる。 |
あちらこちらにある燭台はヴェネチアングラスの中でも一番高価な『赤色』のガラスでできている。でもよけい暗い。目が慣れてくると十分豪華な装飾だ。外に出てあらためて正面 を見てみると、アーチの天井画(?)も金色と鮮やかな色のモザイク画で装飾されている。一言で言えば派手だ。ここが宗教の中心地。とは言ってもキリスト教中心のイタリア半島の中にあってヴェネチアは共和国時代はむしろ経済中心の政治方針だったと言うからまさしく『お飾り』だったのだろうか? |
| ツアーと言えば、御当地名産品の見学と販売所の行くのが決まりだ。ヴェネチアならヴェネチアングラス。ここでもイケメンのお兄さんがとても上手な日本語で色々実演してくれました。『ベネチアのガラスはとても丈夫で…』と、思いっきりテーブルに叩き付けたり。でもお兄さんには悪いが私達はさっさとその場を逃げ去りしばしのフリータイムへ。一応待ち合わせはサンマルコ広場と言うことになっていたのでみやげ物屋さんなどを冷やかしながらサンマルコ広場に向かう。途中、マクドナルドを見つけたり…。 |
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サンマルコ広場に戻り『ぼー』っとしていると、いやに日本人が目に入る。夏に年に一度のバカンスを取る欧米人に比べ、この時期は日本人の団体とアジア系の団体がほとんどだそうだ。私達でさえ良く見ないと区別 できないのだから受け入れ側は大変だろう。でも良く観察しているとなんとなくだが違いがわかってくる。この団体とあの団体は違うとか。どの国の人とまではわからないものの時間はつぶせる。しかも私達はバールなどではなくかたずけられていない、朝の渡り台に座ってのウォッチングだった。 |
| ここサンマルコ広場から海の方にに目をやると2本の柱が見える。ヴェネチア共和国のシンボルが柱の上に載っている。聖マルコのシンボルが羽根のはえたライオンと聖テオド−ロ(聖マルコの前の守護神)だ。聖マルコの遺骨がエジプトからヴェネツィアにもたらされた話は大抵のガイドブックに載っていると思うが格下で、しかもビザンツチンに近いギリシア出身のテオド−ロは守護神の地位
を追われてしまった。ここがヴェネチア共和国の表玄関だったのだ。この2本の柱が城門代わりの海からの『入国』と言うのはどんな気分なのだろう。 |
![]() 羽根のはえたライオンと 聖テオド−ロ、 ヴェネチアの守護神 |
集合時間が来て揃ってランチタイム。店はサンマルコ広場を少し入ったところにある 『RISTORANTE all'angelo』(http://www.allangelo.it)の別館(?) メニューは イカスミのスパゲティ・イカと小海老のフライ・イチゴとバニラのジェラード 結構おいしくいただきました。 |
![]() c)mario nomoto |
昼食後、私達は3グループに別れてゴンドラに乗船。今度こそカナル・グランテ(大運河)と思いきやまたも裏切られ路地(?)をゆらゆら。ゴンドラ乗りのおじさんは始終、前やら後ろやらのゴンドラ乗りのおじさんとおしゃべりしていた。橋の上から『バンザーイ』と声をかけられたので万歳してあげたら今度は『サムラーイ』と叫ばれた。寒い30分のゴンドラ体験をした後、各々地図を片手に解散。8時まで自由時間。(ゴンドラ乗りへのチップは€1) |
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まず私達はサンマルコ寺院の2階に上がってみる。(€1.5)もう少し暖かければここからサンマルコ広場を時間を忘れて眺めているのも良いだろう。今日は少し寒い。 |
サンマルコ広場の正面 サンマルコ寺院の2階に見える4頭の馬 |
広場を見ている外にあるのはコピー、本物は中にある。確かパリの小さい方(カルーゼル)の凱旋門にもレプリカがのっていてような気がするが気のせいかな? |
![]() c)mario nomoto |
水路でいけなかったカナル・グランテ(大運河)目指しリアルト橋へ。すでにこの頃デジカメのバッテリーがなくなりフラッシュ無しの使い捨てカメラを露店のお兄さんから購入(13ユーロ)。近くのお店で同じものが18ユーロで売ってた。 リアルト橋に向かう途中、露店の八百屋を見かけた。色が揃っていて遠目にもきれい。角かどに『リアルト橋』と『サンマルコ広場』の方向がわかるように矢印が描いてある。私達は地図をしまった。ヴェネチアはイタリアの中でも治安の良いところと言う。適当な道を選び、橋を渡り…ふらふらしながら、いろんなお店に寄りながら、『リアルト橋』に到着。一部、車椅子用の装置がついてはいるが足の悪い方には不向きな街かもしれない。 |
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| フィレンツエのヴェッキオ橋のように橋の上に商店が並んでいるが、運河に面
しても歩けるようになっていてここからの眺めはとてもきれいだ。リアルト橋の近くには有名店のブティックやディズニーストアまであった。ディズニーストアもさすがにイタリアである。申し訳程度に看板が見える。すっかり周りの建物の溶け込んでいた。 一度通った道をさけながらサンマルコ広場、さらにここからもう一つの名物橋『アカデミア橋』に向かう。ウィンドウ・ショッピングを楽しみながら歩いていたので少し時間がかかってしまった。アカデミア橋についた頃にはうす暗くなっていた。橋は木造で階段になっている。ここもまた良い感じだ。橋の上からみると照明の入った街並もとてもいい。 |
ディズニーストアー 日本とは大分違う |
遠くにサンジョルジョ・マッジョーレ教会が見える。人通
りが少なく なってちょっと心細くなりながら外海に向かって歩く。ただただ真直ぐ歩きジェスアティ教会へ。外海に向かって建つこの白い建物は、朝、水上バスからもその美しさが目についた。 だいぶ暗くなってきたのでお腹はすいていなかったが待ち合わせ場所に近いところで食事をとった方が良いだろうと、またサンマルコ広場に戻る。普通 リストランテは7時頃から店をあけるらしい。同じ店に6グループの内3グループまでが利用している店を見つけて順番に手を降ってみる。集合時間が8時だったのでバールで軽くでも良かったのだがイタリア最初の夕食なのでリストランテにしようと言う事に。あちらこちらから日本語で呼び込みがかかる。ある店先では「ちょっと待って。う〜ん。伊勢海老!」と言われた。日本人の海老好きは有名なのだろうか?6時半も回ったので結局最初に声をかけられた、日本語メニューのある店に入る。 |
| メニューは 魚介のアンティパストの盛り合わせ・ アサリのボンゴレ(塩からかった)・ きのこのピッザ ここのおじさんは「おいしかった。」と言いながら料理を運んでくる。『まだ食べてないって!』と突っ込んでおいたが通 じただろうか?二人で3皿頼んだものの3皿目のピッザが運ばれてくるのが7時半過ぎ。時計を指差し、せかしてもこれだから「スローフードってこういう意味か?」と思ってしまう。結局時間がなくてピッザは一切れしか食べられなかったがトマトのソースはさすがに美味しい。「テイクアウト!」と言ってみたのだが通 じないのかそう言うサービスはしていないのか無視された。集合時間まで2時間をきっている場合に、リストランテを選択したのは間違いだった。日本なら1時間もあれば食事は可能だがそういう感覚で選んではいけない. |
少し坂になっている
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集合時間ぎりぎりの8時に間に合ってホテルへ。水上バスからの眺めは朝とは違う幻想的な、まさしく『海の上の都』といった感じだ。この風景を見て例のムッソリーニの作った橋を渡り、メストレに戻るとまるで中世から現実に戻った気がする。小さく回ればこのように半日でも楽しめるヴェネチアだ。 |
| ホテルの部屋のTVをつけたら『万歳』というへんな忍者とか剣術士が出ている番組を見つけて笑ってしまった。橋の上から叫んでいたおじさんは知ってる日本語で声をかけてるのかと思っていたが入手先がここだったとは。日本のイメージってまだあれなんだろうか? そう言えば中田や中村も『サムライ』って呼ばれていたような… リストランテやトラットーリアといった、基本的にフルコース(3皿以上)で頼む店はゆっくり食事を楽しむ場所。喫茶店で少しゆっくりすると言う感覚ならバールやピッツェリーアを選ぶ方が良いと言う事をこの日学んだ。 | イタリアでは土地の値段が高いヴェネチアがホテル代も一番高いらしい。メストレにも運河とか川はあるし、そこにはボートも停泊しているがやはり『ヴェネチア』といわれて思い浮かぶ情景はヴェネチア本島の街並だろう。メストレのホテルは割と安めだそうだがヴェネチアに来たからにはやはり本島にとまりたかった。しかしどうせなら美術館や博物館も見たかったし、カナル・グランテ(大運河)を歌付きのゴンドラで…。ほかにも教会や運河や、島など見るところはたくさんあってさすがに『世界遺産』と言った感じだ。ヴェネチアは『世界遺産』に登録されている 。 |
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スーツケースを廊下に出して朝食を取りにフロント脇のレストランへ。昨日はパンとコーヒーだけだったがタイミングが悪かったらしい。今日はヨーグルト・ハム・チーズまであった。
部屋に戻ってメモに『Grazie!』チップを置き(二人で1ユーロ)少し早いがホテルの外を散策。夕べ北の方は雪が降ったらしく7時45分の出発予定が30分遅れて出発。イタリアだからっと妙に納得していたがドライバーのジョルダーノさんは心外だったらしく。しきりに渋滞だったと言っていた。
ヴェネチアはヴェネト州、ラヴェンナはロマーニャ州。 ラヴァンナへはここから145km ・3時間の行程。 |
バスの外にはイタリアらしい田園風景がひろがり、バスの中では添乗員さんからの楽しい『講議』が始まり、一番前に陣取っていた私達は日射しの強さにサングラスを持ってこなかった事を悔やんだ。左手には青いラグーン(潟)。ヴェネチアも最初はこんな感じだったらしい。こんな所を杭を打ち込んで本格的に都にしたヴェネチア人の先祖ってすごい。 |
途中休憩を挟みバスはラヴァンナに向かう。『講議』を聞きながらずっと外を見ていたら白いコンクリートのトーチカのようなテオドリックの霊廟を見つけた。『いざとなれば海に逃げる事ができる』と言う消極的な理由で、402年に西ローマ帝国の首都になるこの街はその後もガラ・プラチディアというローマ皇帝の娘の波瀾の人生に助けられ、ビザンチン帝国の主要都市として生まれ変わる。都市としてはあまり魅力がなかったらしく、それゆえに私達はビザンチン美術の「基地」を昔のまま見る事ができる。バスはいよいよラヴェンナの街に入る。 |
| ここの現地ガイドは日本名が『雅子』だと扇子を持って自己紹介する小柄なおばさんだ。キルティングのコートにファーの帽子、ピンクのスエードのブーツを履いたこの女性はスーパーマイペース。そのマイペースぶりはその後、彼女の本名を忘れさせた。「道の白い所は自転車です」「これは古代ローマの城壁です」といいながらずんずんサンヴィターレ教会の敷地に入って行く。 ちょうど日本人の取材の一団が国立博物館から出てきた。日本人同士はちょっと微笑む程度だったが彼女はすかさず「日本人ですか?」現地スタッフと思われる男性にイタリア語で話し掛け相手が『世界遺産』の取材だと知ると「ここは世界遺産に指定されていまーす」「この人たちはテレビの取材です。今度テレビで紹介されます。」と勝手に紹介してまたずんずん進んで行く。バツが悪い日本人同士は曖昧な笑顔で会釈して別 れた。 |
![]() c)mario nomoto スーパーマイペース雅子 |
「ここです。集まってください。」「この下には古代のローマの遺跡があります。」「写 真は後で時間あります。」 「先にガラ・プラチデイアの霊廟を見ます」サンヴィターレ教会を通 り抜けてしまった。ガラ・プラチデイアの霊廟は外観からは想像できない程に見事な装飾で飾られていた。このモザイクはすばらしく、死・永遠をあらわす『青』と『金色の星』の天井は圧巻。 |
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左:サンヴィターレ教会 |
サンヴィターレ教会 当時のままの床のモザイク |
写真の床のモザイクは当時のままの大理石のモザイクだ。中心丸い円がありそれに向かって三角形の模様がとりまく。この三角の中に位
の高い人順に、ならんで会議をしたそうだ。ここは教会と会議場をかねていたらしい。ミサも会議も同じ場所で行っていた。教会に戻り大理石の説明が始まる
サンヴィターレ教会の内部、柱は大理石。「これは一つの大理石を二つに割りました。これはさらに二つに割りました。」 |
「女の人は2階からミサに参加します」「写真取りましょう。5分です」 □慌ただしく写真を撮りこんな調子で見学終了。なぜか 他のグループの女性3人がつられて外に出てしまった。私達の添乗員さんが声をかけ無事『ガラ・プラチデイアの霊廟』に向かった。 グループ行動は少人数がおすすめですよ。 私達なんて日本発つ前にみんなの顔覚えちゃいました。(6グループ/14名) |
| この後お決まりのモザイク作り見学とおみやげのお店に。ここで『スーパーマイペース雅子』いつの間にか売り手に回ってる。売り手としてはどうだろう。私が店主なら彼女に目を光らせるかも…私は『雅子』から8ユーロのスカーフを買い0.5ユーロの絵葉書をおまけに貰った。こっちのポストカードに取り替えてほしいと言うとそれもくれるという。しかもこの後店の奥からマイ自転車を出してきた。彼女は自転車にのって私達はその後を続き相変わらずマイペースなガイドに従う。添乗員さんもこれには苦笑。「ここはポポロ広場でーす」「ここは銀行です。」 そして「ダンテのお墓を見に行きましょう。ダンテはフィレンツェから追われてラヴァンナに来ました。 フィレンツェはお墓かえしてくれと言っていますがダメです。フィレンツェは毎年明かりのための油を送ってきます」 |
レストラントに到着。 『RISTORANTE Marchesini』 (http://wwwristorantimarchesini.com) メニューは ホウレン草のカネロニ・ターキーのソテー・ケーキ とても美味しかった。『スーパーマイペース雅子』は私達とは別メニューで食事をすますと「もっと日本語をうまくなります。」と言い残し用事があるのでとさっさと帰って行きました。最後までスーパーマイペースな『雅子』でした。 日本ではあまり見かけない丸い実をつけた街路樹を見つけた。プラタナスだそうだ。プラタナスの別 名は『鈴かけの木』。丸い実は鈴のようにも見える。 |
| この後、再びバスに乗り込み82km・1時間30分の行程でサンマリノ共和国へ。 サンマリノ共和国は1631年建国された。イタリア統一の時も主要街道から離れている事、目覚ましい産業がない事もあってそのまま独立国として残った。面 積は八丈島と同じ。山の頂上に城壁が残っていてここが首都サンマリノ。正確には標高749mのティタノ山を中心に東西8km、南北13km。アイルトン・セナが亡くなった事でも有名になってしまったF1サンマリノ・グランプリの開催国。 |
![]() サンマリノの街並。 |
キリスト教が迫害されていた頃に逃れてきたマリーノがのが起源とされている。彼のもとに人が集まり、山で生活いたもののキリスト教が公認されてからは布教に勤め聖人となった。ゆえにサンマリノ(聖マリノ)。 この日はあいにくの天気でまるで雲の中にでもいるよう何も見えなかった。 天気が良ければね。ちょっと残念。 |
| サンマリノ共和国は独自のコインと切手の発行でも有名。ただしこれは午前中しか扱ってないので今回は無理。パスポートに入国印をおしてもらえる。この事を知らなかった私はパスポートをスーツケースの中に入れてしまっていた。もちろん、貴重品は身につけておくのが原則。ドライバーさんにお願いしてスーツケースを出してもらう事に。 |
![]() 迷い込んだ教会の祭壇には クリスマスのなごりが… (うまやの場面) |
霧が濃く坂道も多くとても寒かったのでフリータイムの時間は、散策も早めに切り上げる。この後集合時間まで時間があったので『初・BAR』体験。運良く添乗員さんもBARを探していたので御一緒してもらう事に。さすがに年期(?)入ってるだけあってとても良い感じのマスターの入るBARに入る事ができました。添乗員さんも友人もコーヒーが苦手と言う事で、添乗員さんはミルクにちょっとだけコーヒーが入った『ラッテ・マッキャート』友人はレモン・ティー、私はホットチョコが美味しいと聞いていたのでここで注文してみる事に。ココアじゃなくほんとチョコ。美味しかったです。 こうして寒いサンマリノを出国してフェレンツェに向かいます。 |
![]() サンマリノの城門 |
イタリアの中には2つの『外国』があるのは知ってますよね
。 ヴァチカン公国とサンマリノ共和国です。しかも国土面積が小さい事でも上位です。 ちなみに世界ランキングは 1.バチカン 0.44I 2.モナコ 1.81I 3.ナウル 21I 4.ツバル 26I 5.サンマリノ 61I 6.リヒテンシュタイン 160I (単位:平方キロメートル)『 世界いろいろ雑貨ランキング』より 全てのわかった方はすごい。 |
![]() ポスト |
| 車窓には「いと杉」や「オリーブ」「ブドウ」の畑が目立ってきます。ブドウ畑は日本のような棚状に作るのではなく横にツタをはらせるそうです。太陽にあてる事で甘味が増し、ワインに適したブドウに仕上がるそうです。ワインと言えばフランスという認識が強いようですが、聞いた所によると、ブレンド用のワインなどはイタリアのワインを使われる事が多いそうです。途中、丘の上に何台もの飛行機を見つけました。飛行機のミュージアムだそうです。 |
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フィレンツェには200km・4時間の行程。フィレンツェはトスカーナ州。もちろんフェレンツェも世界遺産の指定されています。 途中の休憩所で牛乳を買ってみました。甘くて美味しかったですよ。ドライブインは入口と出口が別 になっています。一度外に出たらまた入口から入ります。 ホテルでの夕食はごめんなさい覚えてません。 |
| このホテルにはミニバー(冷蔵庫)がなかった。牛乳は美味しいけどホテルにミニバーがある事を確認してから購入しよう。特に同室者が牛乳嫌いの場合は。
朝食はまあ普通。天気は快晴。 ホテルの前にミモザの木があった。黄色いポンポンのような小さな花が咲いている。フィレンツェの中心地はバスの制限があると言う事で私達はまずアルノ川を超えて、ミケランジェロ広場に向かう。 |
ミモザの花 |
バスの中ではフェレンツェの『講議』が始まる。もともとはカエサルが退役軍人のための街としてここを選んだ事。1077年の教皇VS皇帝『カノッサの屈辱』以降都市として認められてきた事。1302年にダンテがラヴェンナに亡命するような内乱の続いた13世紀をペストが襲い、やっと内乱が治まった事。 「花の都」と言うのはその頃のローマ人がフロレンティア(花の女神)と命名した事に由来する。フィレンチェ人のことフィオレンティーノって言うんですよね。 |
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そしてメディチ家のことなど。 |
ミケランジェロ広場は街を一望できる |
中央に『ダビデ像』のあるこのミケランジェロ広場は街を一望できる。この像を見て「湯上がり?」と思った人はダビデの話も予習しておこう。ダビデは旧約聖書の人です。尚、ここのはコピー。コピーはもう一体ある。
最近(2003、8)修理の話し出てましたね。 |
![]() 手前から 洗礼堂、ドゥオモ、ジョットの鐘楼 |
再びアルノ川を渡ってバスを降りる。しばらく歩いて行くと目の前にドウォモが見えてきた。 聖母マリアに捧げられたこの教会は、3月25日聖母マリアの受胎告知と同じ日に献堂式を行ったそうだ 。通称『ドウォモ』と呼ばれるこの教会は正式名称を『サンタ・マリア・デル・フィオーレ』という。フィレンツエはマリアの純潔の印である百合を紋章としている。時間待ちの間を利用してまずは『天国の門』と言われる、洗礼堂のドウォモに面 した扉を見に行く。ちなみに『天国の門』の由来はミケランジェロが名付けたと言う事らしい。 いよいよ中に入る。教会の内部は人で埋まる事を計算に入れて空間を設定したという。同じく都市を代表する教会として、ヴェネチアのサンマルコ教会を見てきたがあの豪華さに比べるとちょっとがらんとした印象だ。 |
![]() サンタマリア ・デル・フィオーレの床 メディチの紋章のモザイク |
| シニョーリア広場はサヴォーナローラが火刑にされた場所だ。ここはヴェッキオ宮の前の広場でありその横にはウフィツィ美術館がある。ヴェッキオ宮が手狭になったのでコジモ一世がオフィス拡張のために作ったのがこの「コの字」形の建物だ。現地ガイドは日本人方。ちょっとこもった話し方をされる方だったのでマイクを使ってくれても聞きづらかったかな。回廊にメディチ家の代々の肖像画が飾られている。でも誰が誰だか…。 ここはまず、ガイドブックを購入してから見る事をおすすめします。このツアー中美術館の見学はここだけだったので失敗しました。最後にショップに寄ってガイドブックを見つけて気になった絵を探して解説を読む。後の祭り? |
![]() 像を挟んで 左)ヴェッキオ宮 右)ウフィツィ美術館 |
ここからもう一度シニョーリア広場に戻りヴェッキオ宮の脇にある革製品のお店で革に金の模様をつける過程を見学。このまま再度バスに乗り込み昼食タイム。
メニューは 野菜と豆の煮込み・ポークソテー・フルーツのシロップ漬け フィレンツェ風ステーキを期待していたが外れた。(狂牛病の影響まだ癒えず) 煮込みは内臓系ではなかったけど、イタリア料理は内臓系も多いらしい。 レププリカ広場のキオスクでバスチケットを買って解散。 |
ヴェッキオ橋 |
私達はサンロレンツォ教会を目指し北へ。でもいつの間にか通
り過ぎていた。引き返して露店や犬を使った大道芸人(?)のいる石がむき出しの地味な外見の教会を見つける。日本語のパンフレットはあったが内部に方向を示すものはなく見たかった部屋、奥のメディチ家の礼拝堂・ミケランジェロの作品等を見る事はできなかった。 ここを出て今度は南へ、ヴェッキオ橋を目指す。偽物ブランドバックを幾つも持ってるお兄さんは健在。ヴェッキオ橋の中央のお店の建ってない場所の一角で、メッセージの書かれた錠前を見つけた。幾つもあるからきっと願掛けなのかな。理由を知ってる方教えてくださいね。 |
![]() c)mario nomoto |
| そのままアルノ川を渡って 対岸の道を散歩。道が狭いせいだろうか小型車が目立つ。色もカラフルで可愛いって思うのはたぶんズラッと並んで路上駐車されてるからだろう。イタリアは地下に駐車場が作れない。ちょっと掘ればそこには古代ローマが眠っているからだ。『寝るコは起こすな』ってところだろうか?
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![]() アレ・グラツィエ橋からの眺め ヴェッキオ宮の塔が見える。 |
水面がキラキラしている。川を見ているだけなら日本にいるのとかわらないような気がするが、なにか違う。旅の途中だからだろうか、気持ちが高揚しているのかな?やっぱり光が違うのだろうか?空気がきれいなのかな。そんな事をぼーっと考えるのにちょうど良いくらいの天気の良さだ。 ヴェッキオ橋の東側のアレ・グラツィエ橋を渡りしばらく川沿いに歩いた後、北西を目指して路地を適当に歩く。道幅が狭く並んで歩くと道を塞ぐ程しかない。道は平らでヴェネチアとは全く異なる印象だ。妙に犬の落とし物が目につく。街の中央を歩いていると言うのに雑貨の店が少ない。観光客らしき人は大通 りしか歩かないのだろうかと思う程に人通りも少ない。 |
| 大通りに出て、レププリカ広場にもどる。 休憩タイム。BARに入る。飲み物を注文して奥のテーブル席に。ここのトイレがちょっとかわっていた。ドアはカウンターの人に言わないと開かないのだ。しかも地下に降りて行くらしい。不思議な事に欧米人の青年は私達にトイレの場所を聞き、私達の隣にいたやはり欧米人の男性にカウンターに行けと教えられていた。私達はどう見ても観光客だと思うんだが可能性としては欧米人の方が地元の人の可能性が高いと思う。私ならきっとそうする。 |
![]() ぼけてますが、 サンタ・マリア・ノヴェッラ教会 |
BARの対角にある唯一のデパートに入る。バーゲン中と言う事もあるが店内は青山ベルコモンズって感じ。1階に化粧品や小物地下に下着、上の階が衣服で最上階に無料(?)のトイレと雑貨がある。 ホテルもそうだがこちらの階数表示は日本とは違っている。日本の1階は0(ゼロ)階、二階が1F。 ここを出てまた北西に向かって適当に歩くとお昼を食べたレストラントについてしまった。中央駅はもうすぐ。 ここが一番ジプシーの被害が多いと聞いていたのでちょっと足早になる。偶然サンタマリア・ノヴェッラ教会の前に出た。ここは宗道士ジローラモ・サヴォーナローラがいたドメニコ会が作ったゴシック様式の教会。 |
| 教会内部はドメニコ会の力を反映して豪華な美術品が多いらしい。でもサヴォーナローラって美術品燃やした人だよね。時間が遅かったため教会の中は見ていない。バスに乗るためにドゥオモ広場に向かいながら食料の調達をはかるが、なかなか良い感じの店が見当たらない。時間的に中途半端だったようだ。レストラントは開店前で、BARも早い所は閉めはじめ、食料品店は閉ってる。 |
c)mario
nomoto
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結局ドゥオモ広場に戻りピッツェリーアであれこれ見ていると奥のテーブルに同じツアーの顔が、私達はテイクアウトにしてもらい、一緒にバス停に。ここでも同じグループの顔を見つけると、今度は違う顔が私達を見つけた。 ドキドキのバスに乗り込む。運転手に言っておくと良いと聞いていたが込み合ったバスの中ではそれもままならない。目印の建物を見逃さないようにしていたがグループの一人が近くの人に聞いて号令のように「3つ目!」の声が…。でも降りてみるとホテルが見当たらない。町中から離れていたので人通 りもなくでも心細くなるには10名は多い。むしろこの状況をみんな楽しんでしまった。通 行人を見つけては場所を聞いて一つ早く降りてしまった事が判り一駅分、なぜか2列で歩いてホテルに戻りました。 |
| 飲みきれなかった牛乳を始末し(ちょっと恐いので)朝食も済ませてチェックアウト。 フィレンツェを出てアッシジまでは176km、約3時間。 ブドウ畑やオリーブ畑の中に、白いもの発見。羊だ。羊なんて北海道以来見た事がない私は聖書に良く出てくる羊の存在をとても身近なものに感じているであろうこの国の人たちの事を考えた。 アッシジはウンブリア州にある。中田(英)で 日本人に知られたペルージャはこの州都だそうだ。またこの州にはあの聖ヴェレンティーノを守護神としたテルニの街はバレンタインデーの発祥の地だとか。 |
![]() 山の中腹にある街がアッシジの中心 |
宗教は基本的にはその土地物もなのかも知れない。全ての物に神を見い出す『やおよろずの神』が日本人には合ってるのかも知れないなぁ。残り一日で日本に帰らなくてはいけない事を思うととても悲しく寂しく悔しく…どうせなら本場で洗礼受けようかなどと考えていたのだ。そう、これから向かうアッシジは聖フランチェスコの街である。聖フランシスコは聖人の中でも一番人気のある聖人。アメリカの『サンフランシスコ』もこの聖人に由来する。 |
| ついてすぐに食事になる。 メニューは ツナのパスタ・トマトのサラダ・タラのソテー・ナッツ入りケーキ トマトはホントに美味しい。 食事している間に現地ガイドさん登場。 添乗員さんもアッシジで現地のガイドは初めてらしく、大変貴重な方のようでした。ただこの方町中の人とお友達で、建物のドアを開けるから観光する所かと思うとお店の人に挨拶してる。 そして「ここは友達の店だ。」といって写真タイムを取り、友達と話はじめる。しかも横長い街を縦に歩くのでフリータイムはまいごになった。 |
![]() 『il FRANTOIO RESTORANTE 』 |
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| 1998年の地震で相当の被害を受けた建物は未だにあちらこちらで修復作業をしている。私はうっすらとしか記憶にないが、かつて中田(英)が車に乗ってこの街を走ったCMがあったそうだ。 イタリア人はめちゃくちゃ運転がうまい。中田のイタリア語はイタリア人よりうまいとも言われているらしいがこの街を車で走る中田はもうイタリア人かも知れない。 神殿と言っても柱だけで中はとてもきれいな教会になっている。この少し後、偶然にも花嫁に遭遇。 花嫁の乗った車をみんなで拍手で送った。なぜか幸せな気分になった。 ここから東にあるサンタキアーラ教会に向かう。地震の影響は強く、まだあちらこちらで修理してる。内部は見る事ができなかった。 |
![]() 一番賑やかな広場らしいコムーネ広場は このミネルヴァの神殿の前にある |
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![]() c)mario nomoto サンタキアーラ教会 |
地下には聖フランシスコの信者で協力者で友人であった聖キアーラ(聖クララ)のミイラ化した遺体が安置されている。ここからいよいよコムーネ広場をこえて西端の聖フランチェスコ大聖堂へ向かう。途中、聖フランチェスコが生まれた『うまや』を見た。小屋と言うよりは建物に隣接した部屋と言った感じだ。 フランチェスコは1182年お告げによってイエスと同じようにうまやで産まれた。フランス人の母の希望でこの名前がついたとか…アッシジの裕福な商人の家の子息にありがちにいい加減な青年だったが兵士として戦場に行き、病気になったことから改心し、自分の持ち物や服を人々に与えはじめた。父親に「お前が人々に与えているのは私がお前に与えたものじゃないか」と言われて着ていた服を全て父親に返し、それ以来麻袋を身につけたこのエピソードが建物の壁に描かれている。 |
![]() c)mario nomoto 地元の貴重なガイド |
| 聖フランチェスコの教えは『何も持たず、何も構えず、ただ祈る』と言うものだったからもちろんこの教会も弟子によって建てられた。「清貧・純潔・従順」の3つを戒律とした教えを説く。キリスト教の会派を結成するには教皇の認可が必要だった。当時、教会は乱れ、民衆の不満となっていたので、フランチェスコのかかげた厳しい戒律は教会のイメージアップになった。この後フランチェスコは献身的な布教活動を続け奇跡を起こした。フランチェスコ自身は最後まで清廉潔白で、戒律を守り死後ただちに聖人に列せられる。 |
![]() 聖フランチェスコ大聖堂 |
フランチェスコ会の修道士の服装はとてもわかりやすい。茶色の服(麻袋のなごり?)腰のところで縄で縛ってある。この縄には3つの結び目が有り3つの戒律をあらわしていると言う。 上の教会の前庭は花壇になっていてフランチェスコ会を示す、『STC』の花文字がある。中に入ると柔らかな色彩 のジョットの描く28枚の聖フランチェスコの行った奇跡の絵。外の階段を降りて下の教会に入ると一転して荘厳な風情がある。 |
| アッシジの街を降りてすぐに休憩。その目的はおみやげ。ここは珍味の宝庫(?)イノシシの生ハム、トリフ。免税店や大きな都市と違い、ここは貸し切り状態でしかも試食しながら買い物ができた。生ハムは日本に持ち込めないので試食だけ。 | ドライバーのジョルダーノさんはここも友達らしく、バスに戻るとシャンプーなどのサンプルをビニール袋に入れてみんなに配りはじめた。 でも住所はわからないのご免なさい。多分ツアーのコース入っていると思うのでツアーでいかれる方は添乗員さんに聞いてみてください。ジョルダーノがドライバーだったらあなたはラッキーかも。アッシジのふもとの、イノシシの生ハム試食できる所といったらそんなにはないと思いますので。 |
| アッシジからローマまでは176km、3間の距離。ところが高速に乗ったとたんアクシデントに。事故のため渋滞。ドライバーのジョルダーノは明日はミラノで16時にピックアップの仕事。ここからは7時間かかる。彼の今日の宿は今入った高速の入口、ここまでローマから2時間くらい。しきりに寝る時間がないと言っている。もちろんマンマミーヤである。 高速で待たされる時の行動も日本と同じである。ドライバーは外に出てたばこを吸ったり、前の様子を伺ったり、乗ってる私達も「事故処理始まったかな」「でもピーポーピーポー来ないッスね」などと話していると、ジョルダーノが反応した。「ピーポーピーポーってなに?」救急車の事だと知るとそのあとは「ピーポーピーポー」を連呼している。添乗員さんがどう説明したかはわからないが、間違ってないから日本人には通 じるはずさ。なんとか車が動きだし8時にはローマについた。もちろん途中救急車を見つけてはみんなで「ピーポーピーポー」と、ジョルダーノが忘れないように繰返してあげた。気分を良くしたのか、あんなに睡眠時間を気にしていたのに、遠回りしてライトアップされたコロッセオまで見せてくれた。 |
ツアーの会社からチップは出ると言う事だったけど、バスの中でもお水が飲めるようにバスに積んでくれたり、添乗員さんの講議の邪魔をしなかったり、気持ちばかりのチップを渡してさよならしました。 ホテル到着後夕食。 メニューは ラザニア・チキンソテー・フルーツ 食事をしていたら他のアジア人がレストランを覗いて、「あっ違う。韓国人じゃないかな。」これには大笑いした。私達も相手がどこの国の人かわからなかったし。彼が誰を見て韓国人と判断したのかひとしきり盛り上がった。何せツアー参加は14名一週間ですっかり仲良くなっていたのでこれは結構面 白かった。 給仕をしてくれたおじさんもかなりキャラの濃い方で「僕の歌を聞かせるから後でバーに来い」と言っていた。私達の部屋はドアに禁煙マークが。私達は愛煙家なので添乗員さんに部屋を替えてほしいとお願いしたところ「大丈夫ですよ。はい灰皿」って、イタリアってホント好きだわ。 |
ジョルダーノのような仕事は家族との時間が取りにくいので人気がないそうです。だから家族の話はしちゃいけないらしい。 ちょっと後頭部やばいけどジョルダーノはイタリア人らしくないシャイな良い人だったのでみんなで最後の日まで一緒でない事を残念がりながらお別 れ。
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| c)mario nomoto ドライバーのジョルダーノさん |
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このツアーで一番広く、大通り側の部屋。朝食は昨日のレストラン。品数も多く、中々充実していた。アジア人の団体さんのすごい風景を見て軽くショックを受けた。 |
![]() c)mario nomoto トレビの泉 |
まずは『トレビの泉』私は1コイン、もう一度ローマに戻って来れますように。コインを入れる事に夢中になってしまうが彫刻に陽があたってとてもきれいだ。関係ないがこのトレビの泉の真ん前にベネトンのショップがある。さすがに本場だ。 ここから世界最小の公国ヴァチカンへ。テヴェレ川を渡りコンチリアツィオーネ通 りに入ると正面のサンピエトロ広場に向かう。ムッソリーニが作ったこの大通りも広く真直ぐ目的地に向かっている点では最初の都市ヴェネチアの本島に渡るために作られた橋と一緒だ。 |
| 広場の中央のオベリスクには撤去作業中のイエス誕生のうまやの飾りが置いてある。等身大のマリアと思しき人形が目の前で取り除かれていった。観光客に混ざってフランチェスコ会の茶色の服、グレーや白、淡い水色の服を着たシスターの姿も見える。 広場右の入口で手荷物のチェック を受け、サンピエトロ大聖堂に入る。 聖ペテロの前ではアジア人のおじさんがにこやかに記念撮影をしていたがここではちょっと不似合い。信者は台座からはみだしている左足を撫でたり、額や頭をつけたりキスしたりしている。私は洗礼を受けているわけではないが信者まねて額をつけてみた。荘厳な雰囲気に心が熱くなって夢中で見ていた。教会で私の名前を呼ぶ声を聞いた時に集合時間は過ぎていた事に気がついた。 |
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上:サンピエトロ大聖堂 広場 下:サンピエトロ大聖堂 聖人の像 |
ミケランジェロの『ピエタ』は聖母マリアが懐妊した時にその子イエスの運命を受け入れた時のイメージを形にしたと言う事でマリア自身は若い姿で表されているらしいです。サンピエトロ大聖堂の左の入口にはスイスの衛兵が立っている。ミケランジェロデザインのオレンジと黒の縞の制服は名物になっている。ヴァチカン美術館・サンタンジェロ城も見たかったが今回は無理。今にも雨が振りそうな空、今回のツアーで一番南のローマが一番寒い。市内に戻りクィリナーレの丘からヴァチカンを振り返りイタリア一のイケメンがいると言う門から中を覗くとここが大統領公邸だそうだ。 |
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ヴェネチア宮殿のとなり、ジェス教会は 伊達政宗の少年使節団が来た所。アジアの布教に力を入れていたイエズス会の教会。ヴィットリオ・エマヌエーレ2世記念堂からフォロローマーノを右に正面
にコロッセオが見えてくる。バスは半周して向う側コンスタンティヌス帝の凱旋門側から見学。凱旋門から見ると、突然周囲は古代ローマ時代に。古代ローマ兵士の格好をし、4人のグループを見つける。この人たちは写
真を取らせてモデル代を請求する。ここで売っているガイドブックはなかなか工夫されていて今の写
真と復元した絵とを比べて 見る事ができる。ここも時間がなくて中には入らずにバスに戻る。 「Good!」の意味で親指をたてるがこの起源はこのコロッセオで行われた戦士と獣の戦いだとか。良い戦いと見せた戦士に対して皇帝が指をたてればその戦士は解放され、指が下向きなら殺された。ローマの戦士は奴隷。ローマ皇帝の義務は市民に『パンとサーカス』を与える事、パンは食料、サーカスは娯楽だと言う。古代ではローマ市民に労働の義務はない、労働は奴隷が行っていた。征服された土地はローマ市民の物になるので奴隷は征服された土地の住民。 ムッソリーニは古代ローマの皇帝が理想だったというのを聞くとちょっと恐い気もする。ローマでも私達が見たいのは「街」石造りの建物も、石畳も同じだがやはり古代から都として栄え今も一国の首都であるローマは人の数も車の数もフィレンツェやヴェネチアとは全然違う。「ローマが滅びる時、世界も滅びる」という言葉を未だに生きた言葉として使われる貫禄があるように思える。 イタリアに来てずっと気になっていたのだがここローマでもカラスがいない。鳩とは違う鳥を見つけたので写真をとってみた。 日本ではあまり見ないと思うのだが良く見ていると「灰色のカラス」に見えてくる。 |
![]() ニセローマ兵士と現ローマポリス ![]() 「灰色のカラス」??? |
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免税店で最後のお土産を買って、共和国広場近くのレストラントで昼食。 |
スペイン広場 |
![]() 路地の花屋 |
![]() 花売りおばさん |
頭に花の束を乗せたおばさんが建物の一つに入って行った。ここもまたぼーっとするのには良い感じ。 ここからカンピドリオ広場に向かうが方向を間違えてテヴァレ川に出てしまう。正面 には最高裁判所。 ヴィットリオ・エマヌエーレ2世通りに出てヴェネチア広場を目指す。正面のヴィットリオ・エマヌエーレ2世記念堂はムッソリーニが演説を行った所イタリア統一の記念堂だが周りに比べて真っ白で風格と言う点では負けてるかも。右の木は松の木だが日本で見る松の形とは違う。 |
![]() ナヴォーラ広場の噴水 |
![]() ヴィットリオ・エマヌエーレ2世記念堂 |
下から見上げた時には気付かないが正面
の階段が若干手前に傾斜していて登りにくい。 記念堂の後ろ、カンピドリオ広場はミケランジェロの設計。広場の裏手はフォロ・ロマーノ。上から眺めて中世から古代に切り替えるフォリ・インペリア通 りに出て正面にコロッセオを見る。まだライトアップには早いのでBARを探すが見つからない。左側の通 りに入りしばらく 歩き回ってガイドブックに載っていた美味しいジェラード屋を偶然発見。寒い日だったが入ってみる。店内には70種類くらいのジェラードが並ぶ。見た目で選んだジェラードは『ヨーグルト&コーヒー』食べてみると結構美味しかった。 |
![]() カンピドリオ広場 |
| チョコの中にコーヒーの入った『Pocket Coffee5』はお手ごろ値段でお土産にも重宝。 日本料理の「hasekura支倉』の隣がジェラード屋、この隣にBARがあったので入ってみた。たばこを吸っても良いと言うのでカウンターのそばの灰皿をそばに寄せた。お兄さんは頼んでもないのに甘くない生クリームののった甘くないクッキーを出してくれた。 友人がトイレにたった後、灰皿から煙りが、灰皿ではなくゴミ箱だった。たばこの火が燃え移って煙りを出した。慌てた私は「スクーズィ(伊)煙り(日)ファイヤー(英)」とわけわからない単語を並べてお兄さんの注意を引き、処理してもらった。そこに女主人らしきおばさんが登場して怒られてしまったが 友人が戻り説明しているとおばさんは怒りながら灰皿を出すようにお兄さんに指示。最初から灰皿だしてよ〜。 光の入ったコロッセオを半周してホテルに向かうトラムの駅を目指す。トラム線路沿いに歩き可愛いレストラントを見つけるが7時オープンと言う事で諦める。 |
![]() c)maro nomoto |
| 目の前にピラミットが現れて方向を間違った事に気がつく。ピラミテ駅についてしまった。ピラミテ駅近くのBARでチケットを買うとおじさんが日本語で「ありがとう」と言ってくれた。このおじさん挨拶だけなら何カ国語くらい知ってるんだろう。 トラムの停留所には路線の停留所の一覧表で目的の停留所までの数を確認して乗車。それでも車内で聞いてみたら「ここだよ」って教えてくれた。おじさんありがとう。 お国柄とでも言うのだろうかイタリアの男性は老いも若きも(とくにおじさんは)とっても親切。 ホテルの近くでレストランテを探すが見つけられずホテルに戻って出直す事に。でも結局ホテルで食事を取る事にした。なぜか次々とメンバーがホテルに戻ってくる、近くのBARでテイクアウトしてきた人も多い。結局みんなホテルで夕食をとったみたい。最後の夜だと言うのに…人の事言えないけど。 |
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添乗員さんもテイクアウト組だったが、私達につきあってくれた。 |
![]() 歌を聞かせてくれると言った ホテルのおじさん |
今回のツアーのメンバーはとても楽しかったとも言ってくれた。今回のツアーはフリータイムが少なかったのでもっとゆっくり見たかったと言うと、たまにフリータイムを持て余す人がいるそうで、フリータイムなのに添乗員さんに案内してもらおうとする人
もいると聞いて驚いてしまう。次はどこに行こうと言う話になって、友人はバルセロナ、私はまたゆっくりイタリアにきたいと言うと添乗員さんのお勧めはイスタンブールだという。そう言えば世界三大料理にトルコ料理も入っていると聞いた事があった。 「明日はちゃんと飛行機に乗って下さいね。」と念を押されて部屋に戻った。ローマだけでも後3日は滞在したい。 下見のつもりで参加したツアーだったがどの街もとても魅力的でどの街にも決められそうにない。 結局、不完全燃焼のまま日本に帰る事になった。 |
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