南極物語−夢を求めて昭和基地へ15000km

◎最大の夢が実現:1971-1973年の3年間の仕事(Solar Cycle 20, 1972 Augusteventの観測)
         1972年の越冬で電波観測、電離層観測、ロケット観測、オーロラ観測など

◎南極に行くまで:
 鉱石ラジオの組み立て分解をするラジオ少年であった。ラジオで外国の短波放送を聞くとき、遠くの国の放送が聞こえなくなることがある。特にヨーロッパ方面や北極回りは雑音がひどい。
これはオーロラに関係がある。電離層−電波を反射する鏡が曇るからである。

◎いざ南極へ:
 観測隊JARE13は1971.11.25東京晴海ふ頭から出航する。東京湾波高し、船酔い頭痛、機材ラッシング疲労苦しい(来るんじゃなかった、後悔1回目)

フリーマントル寄航して1週間陸に上がる。レイテ、ミンダナオを過ぎて、赤道祭をおこなう。セレベス海、ロンボック海峡、バリ島を通過。

いよいよ南氷洋に入る。1年中荒れ狂う暴風圏、40度以上のローリング、南緯40-50度、約1000km,1週間、ほえる40度、狂う50度激浪に翻弄される、船酔い苦しい帰りたい(後悔2回目)

さらに氷海を進む。上陸準備、白夜に接岸、荷下ろし、氷上輸送、基地設営、運搬、ドラム缶500本、1日16時間の作業(重々労働、首、体が痛い、死にそう、後悔3回目)

そのため基地で整体治療「首吊り」3ヶ月間を受ける羽目。苦しいことが多かったが楽しいこともあった航路

◎南極の自然:
 とにかく広い、氷の大陸、純白の世界、氷山がとてつもなく大きい、
南極大陸の大きさは日本の約33倍、96%雪氷、昭和基地は東オングル島、
そして西オングル島にも観測アンテナがある。東経45度南緯70度、日本時間より6時間遅れ

氷山のいろいろ:テーブル形、三角形、凸凹形、王冠形、
氷山は光線の加滅で白、赤、青、灰、銀などいろいろな色に変わる

パドル(水たまり)、基地付近の生物、夕日、朝日の美しさ、ダイアモンドダスト、グリーンフラッシュ、
ブリザード、零下30度以下、南向きは寒く、北向きは暖かい、
暗夜(6月1日-7月13日)、白夜(12月1日-1月21日)、

満天の星、地平線まで見える、南十字星、天の川、
オーロラ爆発(これは地震活動の極大、火山噴火に相当)の物凄さ

◎南極での仕事:
電波の伝わり方、電離層の観測、下部電離層観測機の製作、オーロラのロケット観測、7機全部成功、
高さ30mのアンテナ建設、削岩機、張線器、硫黄(固定剤)などの作業、

野外調査、400mシェッゲ断崖絶壁に長大アンテナを張つて電離層野外観測、
雪上平面アンテナ(F16南極大陸ルートの出発点とF18地点)による観測

◎南極昭和基地400日の生活:
冬至祭、誕生会、南極大学、オングル島一周巡り、氷山のソウメン流し、水を作る作業、
キャロム、マージャン、ビリヤード、ダーツ
ビール瓶寒さで割れる、缶詰料理、もやし、かいわれ大根、
日刊13次新聞発行、越冬隊員いろいろ

◎南極観測の歴史:
150年前に人類初めて上陸、
1882年国際極地観測年、1957年第3回国際地球観測年(1957.7.10-1958.12.31)、
1957.10.4ソ連スプートニク1号、

国際地球観測年の1957.1.29に宗谷の観測隊53人、乗組員156人計209人が全力を尽くして
南極大陸上陸に成功し、昭和基地第1次越冬隊(JARE-1)が成立。その後、日本内地の暖かい声援、とくに小中学生の激励の真心こもった温かいて応援の手紙で日本人の科学に対する夢と情熱が叶い大きく発展した。

JARE-2は越冬不成功、JARE-3,4,5は越冬成功、JARE-6で基地閉鎖(1962年),
JARE-7(1965年)再開、「ふじ」30人越冬、24次まで。
1983年に「しらせ」就航、2009年には「しらせ2代目」就航。

◎メッセージ:
 今なお南極には夢がある。世界は挑戦者を待っている。
どんなことでも100回やればよく分かる、1000回やれぱ上手になる、1万回やれば名人、プロになれる。
誰にでもチャンスはある。
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