2009/02/24 Created
小寺清之(1770-1843):国学者。字は光海、名は監物。諱は清之、号は棟園、通称は主馬。
明和7年(1770年)笠岡稲荷社祠官小寺清先の長男に生まれた。 天明7年(1787年)、父親に従って京に入り、神祇官卜部氏
に謁し、10年後に再度閲した。寛政10年(1798)祇職を継ぐ。享和2年(1802)三たび京師に行き、梨木祐馬ついて歌法を学ぶ。
その詠歌は2〜3万首にも上るが、今伝わるものは少ない。
文化3年(1806年)阿部正精に召出され、両社八幡宮で邦典を講じた。これが福山で皇学(国学)教授の始まりとなった。
文政3年(1820年)養子の清房に家を継がせて藩を辞してからは、市村・深津村に住み国学を講義した。武士から農民まで多くの
人々を教授した。 |
『備中名勝考』
大嘗会和歌を中心に備前・備中・美作の名勝126ケ
所を挙げて説明を加え、180首の和歌を載せた江戸後
期の名所図繪。
挿絵は18枚、画家の辻鳳山は讃岐の人。
成立は文化十二年(1815)、現存する版本は文政五年
(1822)玉松園蔵版 浪花種玉堂・文金堂製本、上下2
巻、岡山中央図書館蔵(「岡山文庫・岡山古文書」より |