古来からの備中名勝地のガイドブック「備中国名勝考」の小寺清之
 笠岡諸島の高島王泊に在る『高嶋宮』、神武天皇を祀る。 文化12年の収録版画絵図。
訪問DATE: 2009 02 20 「かさおか歴史展」にて展示


「高嶋宮」小田郡神嶋ニ属ル嶋。
高嶋の内に、王泊といふ所あり。これ皇居の御跡なり
とかたりつたへたり。をりをりに厳瓮(げんおう:上代の
祭事にもちいる陶器)など堀出せり。そのちじにくだけ
たる物は、つちにみちてまじりたり。
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『備中国名勝図絵』
小寺清之:文、 辻鳳山:絵、文化12年(1815)輯録、
文政5年(1822)刊行の「備中国名勝考」を明治元年
に復刻したもの。
大嘗会は天皇即位の儀式に新穀の初穂を供える祭儀
である。祭儀にあたって悠紀(ゆき)・主基(すき)の二
国が定められ、この二国からの新穀で神饌と神酒が
つくられた。このうち主基国は平安中期より丹波と備中
が交代で勤めることが多かった。
大嘗会には悠紀歌、主基歌が詠まれ、それぞれの名所
が詠まれた。
小寺清先・清之は備中国が常例のように主基国に定め
らる栄を唱え、歌に詠まれた名勝をあげて
「備中名勝考」を著した。(「笠岡市史」第1巻より)

2009/02/24 Created
 小寺清之(1770-1843):国学者。字は光海、名は監物。諱は清之、号は棟園、通称は主馬。
明和7年(1770年)笠岡稲荷社祠官小寺清先の長男に生まれた。 天明7年(1787年)、父親に従って京に入り、神祇官卜部氏
に謁し、10年後に再度閲した。寛政10年(1798)祇職を継ぐ。享和2年(1802)三たび京師に行き、梨木祐馬ついて歌法を学ぶ。
その詠歌は2〜3万首にも上るが、今伝わるものは少ない。
 文化3年(1806年)阿部正精に召出され、両社八幡宮で邦典を講じた。これが福山で皇学(国学)教授の始まりとなった。
文政3年(1820年)養子の清房に家を継がせて藩を辞してからは、市村・深津村に住み国学を講義した。武士から農民まで多くの
人々を教授した。

『備中名勝考』
 大嘗会和歌を中心に備前・備中・美作の名勝126ケ
所を挙げて説明を加え、180首の和歌を載せた江戸後
期の名所図繪。
挿絵は18枚、画家の辻鳳山は讃岐の人。
成立は文化十二年(1815)、現存する版本は文政五年
(1822)玉松園蔵版 浪花種玉堂・文金堂製本、上下2
巻、岡山中央図書館蔵(「岡山文庫・岡山古文書」より