伝・「西山城」
 春日池から旧道を東行すると北側の山に幟が見えてくる。
訪問DATE: 2010 05 28

位置図:福山市坪生町西池平


 山に幟が見える、という言葉を頼りに車で東行。
山陽自動車道北側道を春日から坪生に入ってすぐに、
上の写真のごとく山頂の尾根の稜線に幟が翻っていた。
伝・西山城跡の標識を北に進むと、案内板があった。
『坪生の地での古城跡として、古記録は「仁井山城」「南
山城」「大塚山城」、そしてこの「西山城(西備名区に一
名、池原城又は神原城と記述)」を記している。いずれ
も南北朝戦乱期に(1340年頃)その使命を終えたと思わ
れる。その後約二百年後、戦国時代の要害=砦として
清水山が記録に登場する。
「神原采女正(かんばらうねめのしょう)、同和泉守」の
名は西山城主として諸記録に見られる。同氏は南北朝
時代仁井の合戦で竹田庄・鼓覚辨の率いる勢力に敗
れ、自刃したとも伝える(「坪生村史」)。
西山城が戦国期(1480〜)に存続したとすれば、城主は
西山氏で清水山の後詰めの役割をはたしていたと
考えられる。
もっとも西山氏は、「現高屋団地の谷に落去」「内山氏に
名を変えた」「地元に帰農して橋本姓を名乗った」など諸
説があり、いずれも間違いではあるまい。』
 掲示主は「つぼう郷土史研究会」か?

2010/06/14 Created
 坪生にあったという西山城と仁井山城との関係、また南山城・大塚山城との相関をしらべてみたが時代も城主たちもよくわからない。
ウェブ上には西山城の紹介はあったものの詳しくは不明。比高60mの南面した尾根を削平し、主郭を中心に4郭と堀切が確認できるという。上の写真の案内にあるように城跡
には最上稲荷神社(しろやまのおいなりさん)と橋本神社(にしやまさん)が祀られている。時代背景と当城の役割など比較的解り易く説明された書を見つけた、下記のとおり。

『私の坪生史探求』by小森浩氏著より引用

 「坪生村史」によると神原和泉守が竹田庄から攻め入った鼓覚辨により仁井山合戦に敗れて自刃したのが観応年中(1350年頃)とされる。鎌倉時代は建久元年(1190)か
ら建武元年(1334)とされるから鎌倉末期の坪生の地頭は神原氏であったと想像される。神原氏は神辺城主浅山備後守義基に款を通じていたようで、備後守護職にあった
浅山氏もまた、貞治年間(1362年頃)に山名伊豆守(足利の一族)に滅ぼされた。