篠坂城関山「仮名沢城」跡
 手前の道は山陽自動車道を北へくぐり「三宝院」・「熊野神社」へとつづく
訪問DATE: 2009 01 21




城主は橋佐渡守悪五郎勝信といわれ、
陶山一族と姻戚関係にあったという。

正面に見る山が城関山(▲150m)の名前、これ
は手元の地図には記されていない。
国土地理院の2万5千分一の地図にあるのは
松葉左という字名と「諏訪神社」を示す鳥居の
マーク。付近の旧家をさがせば橋一族の由緒書
きなどの発見も期待できるだろうが、不詳。

陶山氏との関係情報は陶山公民館にある陶山
顕彰会発行の「中世武将陶山氏の足跡」という
パンフレットに記載されている。
この場所は立地的には有田〜笠岡、坪生〜福山
稲木〜井原の三叉路にあたる要衝である。
匠ケ城がさらに北、井原領域までのびている。
☆2009/02/11 笠岡市史(第二巻 中世の山城)篠坂
  標高150メートルの城関山に位置し、石垣が残っているといわれる。 高屋往来の東方に位置し、城関山という名称から推測されることは、この城が高屋往来の押さえとして機能していたと
 いうことである。 城主は橋佐渡守勝信、その息市右衛門信元と伝えている。信元は藤井皓玄の乱に鎮圧のため活躍したという。
 (質問) 「高屋往来の押さえとして機能」とは、陶山一族の東の守備の砦として東限の押さえという解釈か?
       藤井皓玄の鎮圧に活躍し、その後は毛利の勢力下に統合されたという解釈か?


2009/01/23 Created

位置図:笠岡市篠坂