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2012/01/13/Visited: 2012/02/01 Created
日本三大庭園 後楽園/古くは御後園(明治四年に改名)
池田家は
明治十七年に岡山県に譲渡す
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<後楽園の沿革> 園は江戸様式の回遊式庭園と称され元禄期のもので広さ約13町歩
後楽園は岡山藩2代藩主池田綱政が貞享4年[1687]に築庭工事の鍬初めを行い、藩主が訪れた時のくつろぎの場としての延養亭を中心に整備され、十四年後の元禄13年[1700]に完成をみた。宝永4年[1707]には延養亭の傍に能舞台を作って家臣・家族・領民にも公開した。綱政の子継政の代となり新たに池を掘り、その掘削土で庭を眺望する唯心山を築かせた。その後、その孫治政の代に現状の体裁が整ったという。
時代が下って文久三年[1863]8代藩主池田茂政は「御後園絵図」作成。唯心山、ひょうたん池があり沢の池に3つの島が浮かび、井田があるなど、江戸時代の後楽園の姿を知るものとして一番良く紹介される絵図となる。
明治4年[1871]池田章政は「御後園」を「後楽園」と改称。明治17年[1884]に岡山県へ譲渡され一般公開となった。