笠岡基督教會、明治二十七年三月落成
 設立は明治十七年(1884)、五十周年を記念し昭和九年に略史が出版された。
訪問DATE: 2011 08 10 

「笠岡基督教會五十年史」
 
 この小冊子の発刊は昭和9年10月10日。
50年を遡れば1884年(明治17年)である。
冊子はA5変形130x190mm表紙ともで16頁

「笠岡市史」掲載内容  
 笠岡基督教会は、明治十七年(1884)に笠岡八軒屋に開設、その後、中之町に移転していた。(中之町は東西本町筋の間、現笠岡駅近隣の北側筋の一角だそうだ) 真鍋牧師の病気辞任により同十九年から三年間、牧師が不在であったが、同二十一年八月に片桐鏻太郎牧師を迎えて、井原、新山、金浦、富岡、大島などに伝道を開始した。(中略)明治二十七年(1894)三月五日、手狭となった教会堂の新築落成し、教会創立十周年を祝った。
笠岡基督教会の会堂は、木造二階建ての切妻瓦葺の外装は白漆喰塗り仕上げで、破風、軒、
胴に見られる数段に厚く塗り上げた左官手法、擬隅石や正面の飾り迫縁(せりふち)を持った壁と庇、鎧戸を付けた窓など、心温まる典型的な明治洋風建築となっている。。

2011/08/10 Created
  笠岡の宗教活動
 
   基督教会五十年略史を読むと、
 『明治八年頃、當笠岡町内に新知識を求むるの風潮しきりにして、森田思軒氏等数名の某在留宣教師を迎へ一夕基督
 教思想を聴く、笠岡町に基督教の始めは此時なり。』
 その二年後に神戸から宣教師が来笠し山陽製糸工場で講演会を開いたと続く。そして仮教会の設立は明治十五年、
 八軒屋町にその場所を借り受け、正式の設立は明治十七年三月に十七名の信者たちが洗礼を受けたと書かれている。
 明治十七年六月には暴徒が教会に侵入し巨石を投げ入れるなどの迫害もあったが、今日までその活動は続いている。
 冊子発刊の昭和9年当時、会員数は五拾名と書いている。

  幕末三大新興宗教と云えば、黒住教・天理教・金光教である。
 この三宗教のうち最も創建年が早いのは岡山市内で黒住宗忠が開いた黒住教で文化11年(1814)11月11日、次ぎは中山みき
 の天理教が天保9年(1838)、赤沢文治の金光教は安政6年(1859)である。
 いずれの宗教も笠岡市内に拠点を置いて布教活動をおこなってきたが、筆者がその記録を文字で読んだのは金光教の迫害事件
 だけで、基督教へも投石等の妨害があったことは初めて知った。     
 明治より古い時代、この笠岡には切支丹禁止令下の基督教徒は居なかったのであろうか?              
 (上の写真には肝心の教会のシンボルである塔の上の十字架が写っていない。。。。。。)             (2011/08/10記)
 

位置図: 笠岡市笠岡中央町

 近隣関連< サイト内・リンク>

  基督教会(高梁)→  ClickHere
  高屋教会(井原)→  ClickHere

  金光教(本部) →  ClickHere
  金光教笠岡分所→  ClickHere

インターネットで見ると、

 笠岡市笠岡 日本基督教団笠岡教会 
          M26(1893)設立
        設計 浅野富平・小林芳太郎
         施工小林芳太郎
 のようだ。