2010/04/25 遍照寺をさがす
 さがしのきっかになったのは一枚の写真と
遍照寺についてのある記述。
『正安四年(1302)京都東寺より弘法大師真
影の立大明王の霊像を勧請し小田郡吉田
村に於いて一宇を建立鎮護国衙の道場と
す。』陶山藤三義高の父重の事蹟として
記述された(「興亡史跡笠岡城物語」より)
吉田村から笠岡仁王堂町へ遍照寺を移した
のは重高の子義高と云われているが、吉田
の遍照寺についての記述は珍しい。
同書によれば陶山重高とは母は小見山氏よ
りの女、官位は一族最高位の従四位備中守
である。原資料は焼失した威徳寺文書とい
う。関戸にはかの有名な「関戸廃寺」の遺構
がある。場所的にはこの遺構からさ程遠く
ごくごく近いことが分かった。
現状で遍照寺の場所を明記した資料では、
吉田村ではなく関戸村に属するようだ。
目印の一本松の場所も目下不出来特定。
2010/04/26 作成 
  @「ひらけゆく笠岡」に掲載されていた遍照寺跡の写真 A関戸廃寺の案内板の前の駐車スペースに車を置いて南西方向へ
 向かって歩いた。地元伝承では一本松があったこと、布目瓦が出てきたことの2点は伝わっていた。B八幡山全景。八幡神社
も元位置は花繰峠に鎮座していた。この場所へ降ろしたのは明治になってから、そんな説明を受けた。C伽藍趾の畑から出た
関戸寺の瓦。案内をしてくれたMさんの庭にあった。D花繰峠への山道を歩くE昔は牛を引いて牧草地へ連れてのぼったとい 
う。F関戸団地の上で道は行き止まりになっていた。遍照寺跡はこの附近であろうか?G延享年間の笠岡移転後の遍照寺。
遍照寺の跡地をさがす
場所は関戸・吉田の村域だったのだろうか?
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