里庄濱中天台宗「海月庵」
 
平井祐仙の供養塔、建造は享保二年(1717)仲秋下旬  訪問:2011/11/26
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平井裕仙の寶篋院塔
 高さ4.75m享保二年(1717)建立
願主は孫平井温仙他、石工半七郎
       

2010/09/01 大島郷土史研究クラブ例会で「正頭漁港の沿革」を学習
<【里庄村誌】by 岡道夫氏著>『海月庵』より引用

海月庵 本尊観世音菩薩 所在浜中役神山 境内六畝歩 創立不詳(多分元禄年間ならんと推想す)
      本山 延暦寺 中本山円珠院  開扉期其年より十三週年目、毎期申年に当たる。
     附言 明治十七年以前迄の住尼平井智俊なりしが、常に托鉢物請に巡り漸く糊なること久し、但し同尼は第五世に當れりと云ふ。
     曽祖 有心  俗名 三郎右衛門

法華塔 (前面) 高祖 友心 宗順為菩提之 願主 平井氏藤三郎 平井氏温仙
               祖父 裕仙
     (左面) 享保二集丁酉龍      (右面) 仲秋下旬
     (裏面) 濱中村 願主 平井氏 温仙  平井氏 藤三郎  平井氏 清右衛門  石大工 半七郎
     此塔石蓮華形、方円形、又仏像を刻し層々十二三個を積み上げ、突先に球石を頂く高さ約二丈
     餘精工にして奇観あり、願主の遠裔平井亀市明治三十六年六月火災に罹り、古来の貽物(いぶつ)全く焼失せり。
     或る人の歌に 濱中に過ぎたる物が三つあり。帆岩、雲鉦(ソーバン)、法華塔と読めり。
     附言 岩は帆懸岩と云ひ龍王山の山腹に屹然たり。鉦は圓型にて直径一尺四五寸、尤も好音を発す。珍しき古名器なり。年月
     不詳盗偸にかゝり今なし。塔は平井氏の築く所のもの即ち是也

 里庄町史によると濱中村の庄屋は平井祐仙が宝永四年(1707)九月二十五日に没した後、平井三郎右衛門が
 継ぎ、その後が平井藤三郎と三代にわたって平井家が踏襲している。
 平井祐仙については麻田藩の藩医であったこと、元禄年間に23町歩の干拓工事を自費を投じて完成させたこと、
 その恩賞として藩主青木重成or重矩から免税地四反余と富士形定紋入りの礼服を賜ったことくらいしか分かっていなくて、
 生誕年も定かではない。 
 祐仙の死後十年を経た享保二年(1717)に供養塔(岡道夫氏は法華塔)を建てたのは何かの節目の年だったと想像できるが、その訳
 は全く不明。写真二段目左から三枚目に石灯籠が写っている。
 二基あるうち遠方に見えるのは素盞嗚神社の灯籠で、手前が海月庵の夜燈である。この燈身に平井氏の名と享保二年の年号が刻ま
 れているので多分、寶篋院塔と同じ時期に設置されたのであろう。 この他、平井祐仙関係の遺構として友里に平井家の墓所があり、
 墓石もあると聞くがまだ訪ねていない。
 昭和五十一年になって浜中団地造成を記念し、浜中団地公園の上水道高層貯水槽わきに「平井祐仙顕彰碑」が建立された。
 ⇒ 平井祐仙顕彰碑 ClickHere
 

写真説明

 海月庵の所在地は役神山だという。仁科博士生誕の旧家の前を東に向かって山道を少し歩くとこの写真の風景となる。
 火の見櫓の下の宝珠屋根が海月庵本堂、正面建屋が講堂、屋根の間から寶篋院塔が聳え立っているのが見える。
 写真の右端に写っている鳥居から素盞嗚神社への参道が延びている。秋の奉納子供相撲で賑わう荒神社は素盞嗚神社の属社
 で境内に隣接、さらに地神・牛神(牛供養)などの小祠が何社か並んでいる。それにしてもここの常夜燈は立派である。
 記年号は弘化四年(1847)を刻む。あたかもこの地に遙か往古に城郭があり眼下を航行する舟の導燈の役割を担っていたようだ。

二段目の写真、左より - 本堂の正面に懸かる扁額。天台宗寺院であるが、何故か神社風の鈴があった。
  〃  左より二枚目 - 正面の金色の御本尊仏で聖観世音菩薩金像。申年の御開帳、本殿内部には猿のアクセサリーが沢山あった。
               岡道夫氏の推測で元禄年間開基とすれば申年でみると、元禄6年(1693)と元禄17年(1704)ただしこの年は
               宝永に改元の年で元禄は3/12まで。どちらかの年の開基と思われる。
  〃  左より四枚目 - 伝教大師最澄坐像。本尊仏の隣に鎮座。

☆付近関係施設、サイト内リンク
  素盞嗚神社    ⇒ 
ClickHere
  荒神社と地神碑 ⇒ ClickHere
  

  位置図: 里庄町浜中役神山
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