| 浅口市市寄島町 三郎島を散策
三韓征伐・神功皇后~大浦神社・安倍晴明伝説 |
|
|
|
|
|
|
|
|
| 2010/12/06(月) 神功皇后皇と安倍晴明の伝説の地を訪問 |
|---|
| 寄島町略誌 Wikipedianによると寄島町の沿革は、 1876年(明治9年)東大島村、六条院西村の飛地、安倉地区が合併、寄島村となる。 1901年(明治34年)2月 町制を施行し寄島町となる。 1955年(昭和30年)4月1日 浅口郡大島村柴木地区を編入する。 1983年(昭和58年)3月 県営農業干拓が竣工。 2006年3月21日 浅口郡鴨方町・金光町との合併により浅口市となる。 面積は約9Km2、当時の人口約6,600人。 三郎島は本土からおよそ1Km沖合に浮かぶ東西1Km弱、南北は200mほどの小さい島だった。 神功皇后が立ち寄ったという伝説によってここが寄島と名がついた。古くは「和名類聚抄」(931-938)に「於保之麻」と共に「寄島、三 郎島」の名前が見える。その後、明治9年に東大島と西六條院の飛地・安倉が合併し寄島村を名乗った。つまり村全体が寄島となっ た為、それまでの寄島は三郎島となり、それまでの三郎島は三ツ山と呼ばれるようになった。と云っても今でも三郎島は寄島と呼び 慣わしている。(この項「寄島の地名」より引用) 昭和50年代に電力会社の灰土投棄を町が受け入れて埋立、後に農業干拓とし、更に多目的転用を目指して住宅も造成されている。 三郎島には全島瀬戸内海国立公園に指定され、平成7年には「寄島園地」がオープンした。誰もが手軽に自然とふれあえる場所とし て、環境庁と岡山県が遊歩道、展望台、休憩施設の整備を行った。 また、最近この干拓地内の湿地にアッケシソウが自生し話題となった。 三韓征伐と神功皇后皇后 Wekipediaによると、 神功皇后(じんぐうこうごう、成務40年(170年) - 神功69年4月17日(269年6月3日))は、仲哀天皇の皇后。『紀』では気長足姫尊(お きながたらしひめのみこと)・『記』では息長帯比売命(おきながたらしひめのみこと)・大帯比売命(おおたらしひめのみこと)・大足姫 命皇后。父は開化天皇玄孫・息長宿禰王(おきながのすくねのみこ)で、母は天日矛裔・葛城高顙媛(かずらきのたかぬかひめ)。 彦坐王の4世孫、応神天皇の母であり、この事から聖母(しょうも)とも呼ばれる。 一方三韓征伐(さんかんせいばつ)とは、『日本書紀』に記載されている、仲哀天皇の后で応神天皇の母・神功皇后が行ったとされ る新羅出兵を指す。新羅が降伏した後、三韓の残り二国(百済、高句麗)も相次いで日本の支配下に入ったとされるためこの名で呼 ばれるが、新羅征伐と言う場合もある. |