路傍の神々:城見台団地造成は昭和50年代後半から着工となり昭和60年あたりに完工となったと思われる。標高100mの丘陵を切り崩して道路を造り、掘削土で谷間を埋めた団地である。団地から東と南へ下ると茂平地区となり、北へ降りると生江浜地区、そして西に降りると福山市野々浜地区につながっている。高丸団地、松井団地、大門団地、伊勢丘団地などニッポンの高度成長期を支えた労働力のベットタウンとして開発されてきた地域だ。その昔、この辺りの丘陵には海が迫り、この峠は茂平と大門を結ぶヒトの道であった。江戸時代ほど長く戦乱から遠ざかった時代はない。讃岐琴平にある金毘羅宮への参拝やお伊勢さん参り、お四国への遍路参りなど、諸大名から地方庶民の末端までが信仰に参加した。
そんなヒトの移動(交通往来)を路傍に佇み見護る石仏像がある。写真上段一枚目、城見台から東を眺望。二枚目、小祠に三体の石仏像がある。誰が祀っているのか、何の像なのか、どんな霊験があるのか、一切の詳細は不明。そんな路傍の神々が古道の傍らには数多く祀られている。写真四枚目、四棟が甍を連ねるお堂郡があった。御祀神は自然石もあり、寄進者たちの銘板を見ると「林地蔵堂」と書かれていた。この辺りの小字を林と云うのだろうか。下段二枚目、社殿のある神社があった。名前は不詳。鳥居はなく境内から注連柱越しに民家が見える。さらに進むと四つ堂がある。福山から茂平へ抜ける基幹道路か、ちょうど峠に当たり旅人たちが身体をここで休めたであろう処、風の通り道となっていた。四つ堂の隣には献花ある太子堂があった(下段、四枚目)。最後の写真は石灯籠と地神像、三体並んで峠を下りた池のほとりの集会所(沖上丸山会館)の前庭に鎮座していた。 -------- 散策ゾーンの付近略図 → Click Here
2008/10/28
路傍の神々 散策(1)
場所は城見台を大門に向かって西に降りる野々浜地区
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