路傍の神々:JR大門駅を出ると眼前に小高い山が迫っている。駅からまっすぐ真北に歩き神原酒造の古い煉瓦の煙突を左に見て山を越えると幕山〜坪生へ向かう。今回は駅からの三叉路を南下して、JRの路線に沿って小高い丘を越えて、伊勢丘へ向かった。江戸時代からあった福山への往来だろう。私立の学校の手前に八幡宮が鎮座する。畑仕事を終えた女性が車を押してすれ違う。峠に四つ堂があり、その地点には石灯籠が鎮座(上段五枚目)。四つ堂の一郭には墓地があり、墓石の間に地蔵尊が鎮座(写真下段二枚目)。その墓地の曲がり角に道標を発見、「左ふちうみち、右さくみち」(写真三枚目)。左へ福山とは云わず府中と書いているのは福山が既知の土地だったから、であればこの道標はさほど古くはないのかもしれぬ。右への「さく」とはどこなんだろう。最後の二枚の写真は野々浜の旧道沿いを歩きの帰路に発見。
下段四枚目は地蔵堂と灯籠と地神の三点セットだ。前回の「沖上丸山会館」前の神々も地蔵堂はなかったが三点セットだった。灯籠への火入れは誰がどんな順番でどんな決まりで火を灯していたのだろう。月夜ならいいけど闇夜の歩行はまず、困難。携帯用の提灯をぶら下げて夜道歩行のシーンが時代劇などででてくるが、村はずれから次ぎの村まで歩くとなると短い時間ではムリだ。灯の無い風景を想像するのはむつかしい。
最後の写真はいまにも倒れそうな堂宇である。安置されているのはむき出しの地蔵尊が一体。瓦葺きの屋根があたりまえになったのは戦後になってのことだろう。戦前まではヒトの住む住居だって茅葺き・椙皮葺きなど植物を屋根に使う家が多かった。瓦が貴重品だったというよりも瓦を焼く工房から末端までの流通販路が完成されていなかった。まして、飛鳥・白鳳時代に瓦葺きの甍の寺院は周囲の景色から突出して異様に映ったことだろう(笠岡最古の関戸寺を連想した次第)。 --------
散策ゾーンの付近略図 →
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2008/12/18
