東大戸「才の神」、旧道脇の 大乗妙典六十六部全国回国碑  
 周辺は家型宝殿四基と第三番観音札所等祭祀碑が集積
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「六十六部信仰」とは?
 この碑群は県道32号笠岡井原線の「才の神」バス停のちょうど上を高架で跨ぐ旧道脇に立っている。

六十六部信仰とは(ろくじゅうろく‐ぶ 〔ロクジフロク‐〕 ムソロクブ)
 六十六部廻国供養塔とは、六十六部行者と呼ばれる、諸国を遍歴する行者に結縁して建立された供養塔のことをいう。
六十六部廻国巡礼とは、法華経を書写して全国の六十六カ国の霊場に1部ずつ納経して満願結縁する巡礼行をさし、この
巡礼に従事する行者を六十六部行者、六部行者、廻国聖などと呼んだ。中世後期、鎌倉時代末から室町時代にかけて、
諸国を巡礼した六十六行者により、経巻を入れた金銅製の経筒が経蔵に奉納されたり、あるいは土中に埋納された事例が、
文献上、あるいは考古学的な発掘調査により、実際に確認されている。このような六十六行者の淵源は、法華経を持して
諸国を遍歴した源頼朝の前身である頼朝坊、北条時政の前身である箱根法師などに求められると伝承され、行者は彼らの
末裔に連なるという。
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 左の自然石の碑文(読み取り可能文字のみ)
  天下泰平 (改行) 安永八年(1779) 改行、西暦年号は追記です。
  奉大乗妙典六十六部回國供養 (これが中央、碑銘でしょう~)
  行者采女友右衛門 (碑銘の左側)、采女氏が行者として全国を巡回したことの証
  
 右側の四角柱型碑文(同じく読み取り文字のみ)
  (正面) 奉供養大乗妙典六十六部日本回國 「日本」という国名が刻まれているのが特徴
  (右面) 干時文政十三年(1830)庚寅十月六日 同じく西暦年号は追記。左碑と年号が51年隔たっている。
  (左面) 願主と世話人の名前あり 読み漏れデス。

 このタイプの異なる二基の六十六部回国碑が意味するものは、、、、、
 1-笠岡湊から追分を北上し井原へ抜ける街道はこの碑の後ろ側を蛸村峠へ向かって延びている。つまりこの碑は街道に背
   を向けて立っている訳で、今の位置に移設されたものでなければ誰かの屋敷内の碑だったのであろう。村の共有碑であれば
   おそらく街道に正面を向けて立つだろうから。

 2-六部巡礼碑は笠岡市域に十基ほど発見されているようだ。
   江戸時代の笠岡近隣村落に住んでいたどんな階層の人物が巡礼に出たのであろうか。
   法華経を六十六部書き綴って、それを六十六の寺を廻って納経する訳だから、根気はさることながら時間と路銀との負担を
   考えると一般庶民階層のモノではないだろう。

 3-五十年を距てて二基の巡礼碑がある意味は、、、、
   この地域には法華経納経巡礼の文化が根付いていたことを顕している。
   修験道関係者か一般の僧侶なのか富裕商人・庄屋など、何ならかのおなじ集団に帰属する人々が住んでいたにちがいない。
位置図: 笠岡市東大戸才の神
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