森山城と明地城
 上ノ谷には溜池が三面並ぶ。高地(東側)より上池・森池・友光池。写真右は上池越しに明地城の方角。
訪問DATE: 2009 04 18 

森山城と明地城(もりやまじょうとあけちじょう)
 森山城は森池の南、標高109mの山頂に在った。
岡山県文化財GISによると、「東西往来の北側に位置。
頂部北側および西側北半に墓壇状の郭面の整形と、帯曲
輪状の加工段。築城は鎌倉,室町で遺構として城・館・屋
敷」と書かれている。一方、明地城は森山城と同じ時代の
城で、ここからから西方600m 離れて在ったという。
GISの説明は、「森山城跡から北西に600m、標高170mの
県境丘陵上。森山城跡の逃げ込み城ともいわれる。
なお、森山城跡の南西側(福山市)には支城といわれる明
知山城跡があるが、この城とは別の城。」 
注目すべきは、明地城址あたりから東へ1Kmの長きにわ
たり、真倉山山嶺にかけて土塁跡が残る点。時代も目的も
不詳。GISは「真倉山の東麓から頂上、さらに明知城跡に
かけて約1㎞におよぶ土塁。性格不明。」と書いている。
同じような土塁跡が入田城と呼ばれる神之峰にも残る。
人力により数キロメートルの土塁の目的は戦闘用の設備
というより境界だったかもしれない。
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 「笠岡市史」では城主は小見山氏とも高田氏とも伝えられ
れるが不詳。また明地城も城主は判然としない。
「皇国地誌」では詳ナラズモ、城主高田河内守カ?

2009/04/18 Created
 
  写真正面の奥に見える堰が高所・東端にある「上池」、その堰の突き当たりの山が「明地城」とおもわれる。
 「森池」は画面の手前、左の茂みの山が「森山城」と考えられる。地元の人の話では奥の堰の辺りの地名を城山(じょうやま)という、
 と聞いたが市史の地名編の小字図だと城山の位置が微妙にずれている。いずれにせよ城址巡りで最も重要事項は、その城址からの
 景色の見え方。灌木が茂り、下った時代の植林などで視界の展開の変化はあるだろうが、居城としていた城主がその城から何を眺め
 どんな対応を取ったのか。対応とは情報の伝達、攻めてくる敵軍の動向をその城からどっちの城に向けて信号を飛ばしたのか、時代と
 立地と地形から中世の山城を集合的に俯瞰することが肝要だと思った次第。
 

位置図:笠岡市用之江(上ノ谷)

 <陶山一族関係サイト内・リンク>

  笠岡市 龍王山山麓墓所 → ClickHere
  笠岡市 鳶ノ子城阯  →  ClickHere
  笠岡市 鳴ケ端城址  →  ClickHere
  井原市 匠ケ城址   →  ClickHere