茂平八幡神社の「秋祭り」
毎年10月の第一日曜日、昔は朔日が催行日だったとか  訪問:2010/10/03
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 神輿庫から境内に出された神輿は
二基、舟型神輿は大人用で手前が
子供用に出来ている。今年からは両
方の神輿共は専用台車に乗って曳
かれようだ。担ぎ手の数が揃わない
のがその理由のようだ。笠岡の祭り
はどの地域でも聞かれることで、あ
る島ではアルバイトを動員するそうだ
境内には白い幟が立ち、法被姿の子供たちで溢れている。ぐる〜っと見渡すと中間世代(ハイティーンと二十代)が少いか。それと外部からの見物人
がいない。祭りの参加者だけが、あるいは子供たちの保護者たちだけが集い、祭礼を執り行っているということがわかる雰囲気だった。とは云っても
排他的な気配はなかった。部外者のわたしの問いかけにも、笑顔で応えて、いろいろ教えてくれた。
 祭りの隊列は赤鬼さんが導き役で
その後ろに囃子音頭リーダー、中間
に獅子がいて殿には青鬼さん。御幣
や神具を持った長老たちは三々五々
出迎える住民たちの対応を行う。
二体の鬼は腰に袋があってお菓子を
いっぱい持っている。道ゆく人に配る
神への捧げ物の御利益であろう。

茂平道を行進する八幡神社祭礼行列
2010/10/03(日曜日)>下段正面の隊列を待つご婦人はご祝儀袋を持って道縁で待っていた。
 猿田彦ならぬ赤鬼が先導する茂平の地域だけの伝統の秋祭りである。
カメラを持って見物に押しかけた群集は筆者一人だけ、お盆の夏祭りとはちがって田舎に帰省した若い夫婦たちの姿も見かけない。
秋祭りとは収穫祭のことで、稲の刈り入れを終えて農繁期のピークの後に村全体で今年の豊穣を神に感謝する儀式であった。
茂平八幡神社の創建は定かではないが、御祭神は応神天皇、神功皇后、玉依姫の三神で男・女・女。昔から女性の地位が高い土地
だったのであろう。

岡山県神社庁によると「お舟みこし」は寛政十年(1798)笠岡の地で丸木により建造された、と書かれている。
この日巡幸された「お舟みこし」は漆塗りの竜骨があり立派な千石船の体裁となっていた。当初は丸木製だったというのは漁船そのもの
が丸木で作られた時代かと思わせるが、時代は18世紀後半であり当時の漁船の構造はどんなものであったのだろうか。
茂平は水野時代の干拓工事前には海に洗われる半農半漁村だっと云われている。明治9年「皇国地誌」によれば茂平村の戸数は141戸
人口733人、牛馬数34頭、漁船54艘、50石未満荷船2艘。住民の三戸に一戸の割合で舟を持った村であった。
牛馬数より舟数が勝っていたところを見れば江戸時代には漁業が主体の村であったことが分かる。


鬼の持ち物(陽根陰物)
 この茂平の祭礼に出現する鬼たちは男女の木彫シンボルを身に付けている。赤鬼が男、青鬼が女の役割である。
大漁祈願と五穀豊穣、さらに子孫繁栄を祈るための神具なのであろうか、他にも意味があるのだろうか、尋ねても即答は得られなかった。
新しい祭礼儀式の発見であり、別の機会にでも調べてみよう。

                                                    位置図: 笠岡市茂平宮内
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