茂平(⑬大本源次郎功労碑)


城見村大字茂平有志者 昭和九年六月十六日建之

地名考

昭和9年という時代 
 昭和4年の金融恐慌から昭和恐慌と呼ばれる経済界の不況によって株価・米価・繭価も暴落した。
昭和6年12月に犬養内閣は農村救済のための景気回復背策に取り組んだ。起債により財源を確保し、地方への公共土木事業を積極的に打ち出した。
犬養首相は5・15事件で交代し、それを引き継いだ斉藤内閣もこの事業を踏襲した。
国よりは「時局匡救事業補助金」が交付され昭和7年から9年にかけて、県下においても公共土木工事があいついで着工された。

明治維新時の鎮撫隊による笠岡からの「寄付金受納と苗字帯刀許可」文書 by 『御用留帳 笠岡市文書』(慶応四年四月(1868年))
 慶応三年十月、徳川幕府は朝廷へ大政奉還をした。幕領であった笠岡へは慶応四年一月二十一日、廣島藩年寄蒲生司書は備中・備後の処置総裁を命ぜられ
 追討軍を結成し、同二十四日錦旗を奉じて出発した。同隊は海路尾道を経て同二十六日福山城へ入城、その後備中へ赴いた。
 この芸州鎮撫隊(鎮撫方)へ寄付金を与えその見返りに苗字帯刀を受けた書類(笠岡市史第3巻)に、下記の名前がみえる。(敬称略)

 苗字帯刀御免 茂平村葭原(あしはら)新田庄屋 大本定右衛門

明治初期にみえる茂平村大本家の事蹟 by 『笠岡市史第3巻』

 明治11年 茂平村 副戸長 大本定太
 明治17年 生江浜、茂平副戸長 大本苦楽一
 明治22年 村勢表・戸数・地価 城見村 村長 大本苦楽一
 

景色考

位置:N 34°29'23.043" E133°27'26.128"
笠岡統治体制の変遷水野 勝成(みずの かつなり、永禄7年8月15日1564年9月30日) - 慶安4年3月15日1651年5月4日))  

 元和5年(1619年)に福山藩10万石を与えられ、福山の地に新たな城(福山城)を築城した。⇒笠岡には備後福山藩の笠岡代官所が設置される。
 1698年 水野家5代藩主水野勝岑死去による無嗣除封に伴い、福山藩領のうち現在の笠岡市分の大半は分割され、福山藩領、天領旗本領となる
 1700年 笠岡町に幕府代官所が設けられ,以後現在の市域の大部分は幕末まで42代170年の幕府代官支配が行われる。
 

茂平の江戸時代の干拓事業(参考引用サイト:昔の茂平
 第一期:現在東郷と呼ばれている新田、「とんまんどて」(通称川尻から銅山の南端に至る堤防)と「かまんど」(銅山の北端から青木の南端に達する堤防) 
      より以北の干拓の完工(時期は水野統治1619年以前?)。
 第二期:「新土手」(銅山の西北端の砂川附近から、西の谷に至る堤防)この新田を「だいとうでん」と呼ぶ。これにより東郷と西郷が形成された。
 第三期:文化8年(1811年)吉原新田完成(銅山の南端から苫無に至る海岸堤防によって造成した地域)、新田守護のため塩崎神社と稲荷大明神を勧請(??)。
 
水野家との関わりで考えると「塩崎神社」の建立は福山の千間土手工事が施工された時期(1648年)頃だと考えられないだろうか?
塩崎大明神という神社をサイトで検索したが、福山以外にはヒットなし。(したがって塩崎神社は水野統治の産物)

No. 表題 Title   内容 Contents
001 青木に建つ「大本源次郎功労碑」正面  画像みる    ↓
     
 2008/05/26にゲットした「いきいき笠岡21」のワォキングのおすすめコースに城見地区『城見台・茂平いきいきコース』として
この碑が掲載されていた。(今日までそんな冊子も団体もあるという事実を知らなかった。今日、役所に出向いて冊子をゲット)
説明文は「茂平の道をつくった大本源次郎碑」とあった。碑文には道路改修とあるので、厳密にはつくった⇒なおした、であろう(w)。
とはいえ、このワークマップから解ったことは、この辺りが旧小字名「青木」だということ。昭和の不況下、政府が提唱する農村のインフラ整備施策に呼応して自費で損壊した村の道路を修復した功績を讃えて建立されたものであろう。
幕末の江戸時代の茂平村の庄屋さんのお名前が「大本定右衛門」と記録にあるので、源次郎さんとはその末裔・一族の方であろうとおもう。
002  同碑側面(南面)右道路は井原笠岡線地方主要道路  画像みる    ↓
 碑の側面ショット「昭和九年六月十六日建之」
右に見えている道路が「主要地方道井原笠岡線」通称産業道路で、位置は大池とこの碑が道路を挟み、茂平から北に出る村道がこの碑の先で産業道路と交差している。源次郎さんが修復した道路はこの碑までの村うちを通る道路であったと想像できる。
その理由は、この碑を通りすぎると、すぐ隣村の用之江となる。また完工の記念碑は工事の始点~終点のどちらかに建つのが自然だから。

 

003
碑の正面の道路隔てて見守るムラサキの花
 この雑草の名前は何だろう?
ムラサキツユクサに似た花の色と型だが葉形がちがう。
自宅に帰ってネットで調べると、「オオイヌフグリ」という草の花ににもっとも似てる。
が、葉形がちがう。
この功労碑と道路に面した反対側の山裾の道際にまるで碑を見守っているように、この草が群生して茂っていた。