茂平(⑥戎神社)
新築天保九年(1838年) 修復平成三年(1991年)
茂平戎神社 ネット・文書等検索するもヒットなし
代わりに全国的に名の知れた尼崎のえびす神社のHPをのぞいてみた。
***尼崎えびす神社****http://www.amaebisu.com/introduction.html
「尼崎えびす神社」は醍醐天皇時代以前の創建であると伝承されています。古代からえびす様は海の神様、漁業航海を守る神様として漁業人から崇拝されてきました。 海の市・尼崎でも「えべっさん」の愛称でお祭りされ、深いご神徳を受けたことにより漁業人たちの生活が栄えたといわれる。
先方での祭神は「えびっさん」こと「八重事代主大神(やえことぬしのおおかみ)」以外に大国主之大神(おおくにぬしのおおかみ)だいこくさん」・「誉田別大神(ほんだわけおおかみ)八幡さん」・猿田彦大神(さるたひこおおかみ)庚申さん」の四柱となっている。
☆2009/02/07 戎神社考
「皇国地誌」で明治時代の各村別に漁船の保有数を調べて列挙した史料がある。
神島などの島嶼部をのぞき、茂平の漁船の保有数は西浜の130隻についで54隻の堂々第二位と健闘している。
この調査時の茂平村全戸数が141戸、約三分の一が漁船を保有して出漁していたことがわかる。明治以前から半農半漁にちかい状態であったと
想像できる。 この戎神社の創建が天保九年(1838)、当時が最盛期だったかもしれない。
お隣の用之江が水際線を持たない村にもかかわらず、漁船19隻を含む貨物船全体で38隻の船舶を保有している点が興味を引く。海に恵まれた
吉浜でさえ14隻の保有である。
後に茂平・用之江・大冝の三村が合併して城見村となった。茂平~用之江は明治以前より漁協を通じて両村は交流があったことがわかる。
何故ならば、漁船も休漁時期には陸に係留しなければならない。出漁から帰港しても舟を陸にあげて用之江村までの搬送はできなかっただろうから。
位置:N 34°29'27.926" E133°27'34.754"
茂平信仰の中心地に鎮座:
えびっさんは村のメイン道路が銅山~矢ノ平へ枝分かれする交叉部(銅山の北端から青木の南端に達する堤防)に在る。
道路を隔てて「地神」(じがみ)碑と立派な夜燈塔が在り、当社の前の道を東に進むと「千手観音堂」、また銅山の頂には「荒神社」・「茂平大師堂」碑がある。
| No. |
表題 Title |
内容 Contents |
| 001 |
茂平地区の神社・⑧戎神社 |
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お隣の「地神」さま。
社の西側道路を隔てて鎮座せり |
こじんまりとした社殿である。
参道となる鳥居までの道行きはわずかに道路から踏み石が一個。鳥居をくぐって本殿まではおなじく踏み石が4個。拝礼する踏み石は参道よりもやや大きくて高くなっている。銅山の「荒神社」、村社の「八幡宮」へ参拝するには山道の階段を上らなきゃ行けないがこの社への参拝には時間がかからない。
それだけ地域の人々の生活との結びつきの強さを時代を超えて道ゆく人に感じさせてくれる。
商売繁盛のなかでも漁業者への豊漁と航海の安全を見守ってくれるえびっさんがいまなお存続していることは海を失った茂平がつい最近までは海と深く結びついていたという証であろう。
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茂平地区の神社・⑥戎神社の屋根瓦 |
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社殿の鬼瓦と家紋瓦
笠岡のもっとも有名な神社の屋根瓦は関戸に在ったといわれる「関戸廃寺」遺跡から掘り出された「鴟尾」(しび 魚尾型の瓦)である。
礎石はいろんなところで発掘があるものの「鴟尾」を伴う発掘はきわめて稀で、これをもって奈良白鳳時代の伽藍配置をもつ寺院建築跡だというお墨付きを得た。
ところがこの戎神社では屋根で鯛が跳ねている。海にでて漁をするむかしびとたちが毎朝参拝してこの社の本殿に手を合わせたとき、心に描いた大漁の情景をかなえてくれ(海の魚が集まって舟の甲板で跳ねた)たことだろう。
<家紋瓦>
右三つ巴とそれを取りまく16個の玉模様。どこかで見た記憶あり、とおもって調べると、、、、敬業館の屋根瓦にもあった。
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003
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茂平地区の神社・⑥戎神社の裏拝殿 |
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天保九年(1838年)という年
笠岡の行政府は江戸幕府の天領であり笠岡村の小丸に代官所が置かれていた。
当時の茂平村にとっての大事件である吉原新田完成工事(銅山の南端から苫無に至る海岸堤防によって造成した地域)が文化8年(1811年)だった。この工事と同時に海岸堤防によって茂平港も完成をみた。漁船の安全な停泊と係留場所が確保されて漁獲高も向上したと思われる。工事の27年後に新築されたというのはかなり間延びしていると感じるのだが、、、、新田守護のため塩崎神社と稲荷大明神もこの時期に勧請されたという説があり、いずれにせよ今日の茂平の風景は天保年間にできあがっていた。。。。
☆2009/02/07
笠岡市城見公民館資料(安藤清孝氏編)
「吉本商店前」の恵比寿神社。
恵比寿大黒の「恵比寿」である。七福神のひとつで、福神の代表格として祀られている。大国主命の子で漁の好きな事代主命であるともいわれる。もとは漁民の神で、多くは海岸や岬の祠に祀られていて豊漁をもたらす神霊として信仰があった。やがて航海の守護神となり、商売の神様ともなる。
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