(車窓の風景)孤児の父 石井十次生誕の地
 
宮崎県児湯郡高鍋町(こゆぐんたかなべちょう)IdemitsuGasStand
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2010/11/23 宮崎県庁を訪ね国道10号を佐伯に向ける
訪問記<宮崎県庁は四年前に知事交替で一躍脚光を浴びた>

 日南から220号を上って宮崎市内に来ると背の高い街路樹が延々と続く道になる。この中央分離帯に植えられた樹の名前はワシントン・ヤシ
トロピカル宮崎の季候を象徴している。そして市域の中心部に車を進めると、同行車輌の数と車線の数が増えて中心部に向かっているのがわ
かる。そんなメインストリートに架かった県庁という表示に従って右折すると、突然鬱蒼とした楠の群生茂る道路となる。
この一角に宮崎県庁が聳え建っている。休日なのでこの日は休庁、ひっそりとしていた。正門の前には女性のガードマン(ウマン?)が一人、
休日執務に就いていた。知事さんのせいであろう、スナップ写真のシャッターを気楽に押してくださった。(写真真右)
お決まりの板知事のパネル写真は庁舎玄関に入った処にあって、ここには年配男性の警備員の方が休日執務中、同様にシャッターサービス
でご多忙だった。

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『石井十次伝』 by「おかやま人物風土記」おかやま県広報協会著 h14年刊
  岡山県上阿知(かみあち)の旧道沿いに「岡山孤児院発祥の地」の記念碑が建つ。
明治二十年(1887)廿二才の石井十次は、医術研修と病気治療を兼ねて上阿知の診療所に赴任していた。たまたま隣地の大師堂に生活に
困窮した母親と二児がおり、十次は頼まれて子供一人を引き取った。それが孤児院の始まりだった。
十次は慶応元年(1865)宮崎県児湯郡高鍋町に生まれ、岡山甲種医学校(現岡山大学医学部)に入学して岡山に来た。
明治二十年、岡山市門田屋敷の三友寺(さんゆうじ)を借りて国内先駆の孤児院「日本孤児教育会」(後に「岡山孤児院」)を開いた。その後、
医師を断念して孤児院に専念、同三十八年(1905)の東北大凶作では多くの孤児を迎え、収容人員は1,200人を数えた。郷里の宮崎県に分院
を作り、「社会事業の父」として多くの人に影響を与えたが、四十八才で死去した。
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 津田白印が笠岡富岡に「甘露院」を開設したのが明治三十三年、石井十次に遅れること十三年。白印は仏教徒である点で石井十次のキリス
ト教である点が異なるが、この貧困の時代に個人の力で弱者救済に取り組んだ偉業は永遠に語り継がれるであろう。
郷土が生んだ偉人の肖像を誇らしげに掲げるガソリンスタンドのマスターに拍手!

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  同時代の社会事業に取り組んだ『津田白印』と石井十次の事蹟 ⇒ 
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                                                    位置図:宮崎県児湯郡高鍋町
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