六島廻し神輿
海に泳ぐ御神輿
皇国地誌(明治9年(1876年)):真鍋村に記述アリ
一武島ト云フ。
東西七町三拾間、南北八町周囲三拾三町 真鍋島ノ西南ニアリ 本島ヲ距ル海上直径二里、戸数百拾戸、男弐百七拾口 女弐百八拾口 総計五百五拾口
男ハ漁猟ヲ以テ生ヲ立テ女耕織ヲ以テ業トス
六島前浦青年団さまHPより抜粋:
【大鳥神社について】周囲わずか四・三キロ。農業、漁業だけでは生計が立たず、六島の男たちは阪神方面に出稼ぎした。
明治時代から、魚運搬船の船頭の島で、朝鮮半島から大阪まで走り回った。市場のあった大阪との結びつきはいまだに強く、島の北端にある「大鳥さん」は大阪堺の大鳥神社ゆかりである。
【祭り】異郷で思い出すのは、きまって島の大鳥神社の秋祭りだった。
子供のころ、前浦、北浦をみこしと太鼓、獅子舞が練り歩き、夜店が並んだ。
にぎやかだった祭りばやしの音色が消えてもう久しい。年寄りばかりで、みこしを担いでの坂道がきつくなった。そのため今では、みこしを船に載せてぐるり一周する。
秋では島に帰りにくかろうと、祭りを五月連休に変更したが、それでも寂しい限りになった。
【お礼】平成20年度大鳥神社大祭報告書
みなさま、5月4日に平成20年大鳥神社大祭が盛大に行われ、無事に完了しいたしましたことを報告いたします。
4名の担ぎ手と60名以上の見学者が六島に訪れていただき、本当のありがとうございました。来年のスケジュールも一緒ですので、是非ともご参加いただきますよう、よろしくお願いいたします。
大鳥神社(大阪堺市)
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和泉国式内社の中で、大鳥と名の付く5社を、大鳥五社明神という。
大鳥神社(本社)、大鳥神社、大鳥美波比神社、大鳥井瀬神社、大鳥濱神社。
社伝では、元々日本武尊一柱であったが、明治初めの官社祭神考証によって、大鳥連祖神とされてしまったとある。
その後、念願の増祀が叶い、2柱となった。日本武尊を当社の祭神とし、天照大神と日本武尊の三妃を
大鳥五社明神のそれぞれの祭神とする。
| No. |
表題 Title |
内容 Contents |
| 001 |
大鳥神社の境内で御神輿廻しを奉納後、境内を出て石段を駆け下りて砂浜へ出る
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大鳥神社は島の小高い丘にある。
船着場からの道は島の海岸線に沿って水際を巡っているが、この社へつづく参道は石段になっている。
この境内でお神輿を廻す。
廻しの儀式
らせん状を連想するこの動きは永遠のシンボルと同時に掻き消し、つまりリセットの意味をこめているように思う。
人の命が満てたとき、白装束で座棺におさまり、棺桶の上蓋を閉めた後、前後のかつぎ手たちは死者の家の中庭でこの座棺を廻しす。
死者の黄泉の国への旅立ちにあたり迷って此岸に戻ってこぬよう、禊の儀式と同時に此岸への決別をあらわすものだとおもっていた。
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| 002 |
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御神輿が境内にいる間中、大島神社の宮司さんがこれを見守っていた。
立ち話でこの神社のご祭神を尋ねたところ、大三島の大山祇神社の末社でもあるとのことであった。
大山祇神社は海上安全と海戦必勝祈願の本山だ。
真鍋水軍が海戦に臨んでこの社へ
必勝を祈願した、という縁起だとすごく判りやすい。 |
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御神輿が濱にでる |
見物にきたおばあちゃんいわく。
前はもっと早く、もっと長く、もっと激しく神輿が廻ったものだ。 |
| 003 |
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境内の神輿が濱にでる。
そのムカシ
この秋祭りには日本全国、日本沿岸を走っていた真鍋島船籍の船がこの島の湾内に碇を落として、祭りを祝ったにちがいない。
海のなかで神輿を廻す
陸上で見る人々だけであれば
こんな所作は不要だろう。
船に乗ったまま、ふるさとへ帰っってきた舟人たちは甲板にでて、廻る神輿に喝采を送った。。 |
004
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海に入水する神輿 |
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クライマックス。 |
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