神嶋厄除大師大護摩法要祭


  2008/11/03(Monday)文化の日~

地名考

 ☆2008/11/04 山伏問答(求菩提資料館ジャーナルより転載)

伏越修験道では、供養、祈祷、法楽、修行などの折には、もっぱら護摩が行われた。護摩は、火炉を設けて護摩木を焼きつつ拝む、インドから中国に伝えられた密教の秘法である。そして、これには屋内で行われる壇護摩と、屋外の庭壇護摩とがある。
 屋外の庭壇護摩は民間で火を焚いて神を祀ったサイトウに淵源をもつものとされ、本山派(天台宗)ではこれを「採燈護摩」、当山派(真言宗)では「柴燈護摩」と表記している。
 サイトウ護摩は、ほとんどの場合、護摩の作法に先立って山伏問答、法弓、法剣、法斧、閼伽といった諸作法が付随して行われることになっている。また、護摩の終わった後に、焼けた灰の上を素足で歩く「火渡り」が行われることもある。
 護摩における諸々の作法は、流派または地域によって多少の違いがあろうが、本山派のある次第書によれば、まず、山伏姿に身をかためた式衆が参集し、行列をつくって道場に入る。これを「山伏行列」とか「おねり」といい、法螺を先頭に、弓や剣のような法具、笈、松明などを手にして、市街や境内をねり歩く一種のデモンストレーションが行われる。
 行列が四方に竹を立てて注連縄を張った結界の前まで来ると、そこで「山伏問答」が行われる。「山伏問答」とは、修験者として知っているべき知識を尋ねるテスト形式の問答であり、昔日の修験者は、これによって相手が同じ流派の者なのか、それとも他流の者なのかを判定したのであろう。その内容は、山伏とは何か、修験の開祖や本尊、サイトウ護摩や装束の意味などについての問答となっている。そして、それは、例えば次のように展開する。修験道とは何かを考える上で、大変興味深いものがある。


☆2008/12/04 修験道の起源(出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)

 修験道(しゅげんどう)とは、山へ籠もって厳しい修行を行う事により、様々な「験」(しるし)を得る事を目的とする日本独特の混淆宗教である。
修験道の実践者を修験者または山伏という。

山を神として敬う古来日本の山岳信仰と神道、仏教、道教、陰陽道などが習合して確立した日本独特の宗教であり、奈良時代に成立したとされる。
開祖は役行者(役小角:えんのおづの)とされる。平安時代ごろから盛んに信仰されるようになった。
平安初期に伝来した密教との結びつきが強く、鎌倉時代後期から南北朝時代には独自の立場を確立した。
密教との関係が強かったことから、仏教の一派とされることもある。修験道の法流は、大きく分けて真言宗系の当山派と、天台宗系の本山派に分類される。

当山派は醍醐寺三宝院を開いた聖宝理源大師に端を発し、本山派は園城寺の増誉が聖護院を建立して熊野三所権現を祭ってから一派として形成されていった。
真言や天台は貴族との結びつきが強いが、修験道においては一般民衆との関わりを持っていた点で、修験者(山伏)の役割は重要であった。
奈良県吉野山の金峯山寺(金峰山修験本宗)、京都市左京区の聖護院(本山修験宗)、同伏見区の醍醐寺三宝院(真言宗醍醐派)
などを拠点に信仰が行われている。 また、各地の霊山を拠点とする国峰修験の流れもある。

 Paticulars Information View










Q:修験道とは
修行を積みてその験徳を顕す道にて候。
Q:
修験道の開祖は
役行者神変大菩薩なり。舒明天皇の六年一月一日大和の国茅原の里にご誕生。十七歳にして、葛城、顕の峰に抖そうし、十九歳にして大峰山に修行、密の峰を開き給う。斉明天皇の四年霊瑞を感じ、箕面山の瀧窟に於いて龍樹菩薩を拝して、修験の秘法をうけ給い、大峰順逆三十三度、御歳六十八歳にして箕面山天井ヶ岳に於いて昇天し給う。
<注>第34代舒明天皇
在位中の時代 飛鳥時代(629-641)、在位中の皇居 檜隈廬入野宮
別名 田村皇子、息長足日広額天皇、出生 593年 、死没 641年11月17日 、陵墓 押坂内陵
皇子女 天智天皇、間人皇女、天武天皇、古人大兄皇子、蚊屋皇子
皇后 宝女王(皇極天皇)、夫人 法提郎女









Q:頭(こうべ)に戴く頭巾(ときん)のいわれは如何に
大日如来五智円満の宝冠を表ず。十二のひだは十二因縁を顕す。右の六ひだは六道衆生還滅の儀、左の六ひだは六道衆生流転の儀なり。これ即ち凡聖不二の表示なり。
Q:
身につけたる鈴掛けの儀は如何に
入峰修行の法衣なり。鈴は五鈷鈴、即ち大日如来の三昧耶形にして、その音声は法身の説法なり。この大日阿字不生の宝鈴を衣裡にかけて、一乗菩提の霊峰するをもって、かくは名付けたり。
Q:
肩にかけたる結袈裟は
修験専用の袈裟にして、九條袈裟を折り畳みたるもの、九合は九界を表じ行者は仏界にして十界一如の不動袈裟。また三股なるは三身即一。六總(ふさ)は六波羅密を顕すものにて候。









Q:腰につけたる其の綱は
螺緒(かいのお)と申す。
山岳抖そうの際、絶壁をよづる時、または危難の際、これを解きて用うる要具にて、法儀には金界バン字の形、壇線の意を表ず

Q:
手に持ちたる錫杖の儀は如何に
錫杖とは一法界の総体にして衆生覚道の智杖なり。

Q:
汝仏者にして獣の皮を身につけたるいわれは如何に
これ引敷(ひっしき)と申す。文殊菩薩が獅子に跨り降臨おりしを象る獅子乗の儀にして入峰修行勇猛迅速の形。無明法性円融無礙(むみょうほっしょうえんゆうむげ)の儀にして、実用は木の根、岩角に座する行者の要具なり








Q:腰に帯びたる利剣は如何に
不動の智剣。煩悩魔障を破断するものなり

Q:
八つ目草履とは
八葉蓮台を踏むの心なり

Q:
然からば本日厳修せられる採燈大護摩供のいわれは如何に
採燈大護摩供とは、修験道の秘法護摩供にして、仏の智火をもって、業煩悩の薪を焼き尽くし、法性の理体を顕現するの儀にして、有漏生死の依身を断焼して本有不生の阿字に帰入し、五仏の三魔地に住し六大理観に入り、本尊と我と不二の境地に入るの儀にして、その形義、次第、観念には、深甚なる意義を有するものなり。
A:
問者への回答
先程よりのお答え、まこと聖護院宮門跡配下の山伏たること疑いなし。然からば、しからば、お通りめされ、案内申す。










 法螺を鳴らしていた山伏の一人が注連縄の中央に
に進み出でて、祭祀主より弓と矢を授かる。

破魔矢であろう。山伏は注連縄の四隅で、空に向かって弓を引き絞って矢を放つ。見物人たちは心木を争うように、この空から落ちてくる矢を奪い合って取る。
北偶、東偶、南偶、西偶と射て最後は護摩壇に向かって矢を放つ。










 弓矢の次ぎが剣である。
別の行者がおなじく剣を拝して、護摩壇の正面で抜刀する。
見た目には真剣に思えるが、時節柄リスクを冒す理由もなし、そう思うと刃の光沢が鈍かった!?、
鞘からおもむろに抜いた白刃を左右に袈裟切り、六太刀を浴びせて、最後は護摩壇に向かって突きを入れた。
障魔退陣、縦横無尽に切り捨てたわけだ。
このあと、注連縄の四隅で同じように抜刀の儀をおこなった。










 最後には斧の儀式。
このタイミングで、竹竿の取り付けた松明が一対、護摩の前に用意される。
斧は四隅へはゆかず、この後は西方にしつらえられた祭壇からの灯火
を松明に採火し、いよいよ護摩壇への点火の儀へ進む。














 護摩(ごま)の源はインド、紀元前2000年ごろにできたヴェーダ聖典に出ているバラモン教の儀礼で、仏教には釈尊入滅約500年後に発生した大乗仏教の成立の過程でバラモン教から取り入れられた、と考えられている。 そのため、字護摩は密教(大乗仏教の一派)にのみ存在する修法であり、釈尊の直説に近いとされる上座部仏教には存在しない。 おもに真言宗、天台宗で行われる。
護摩の炉に細長く切った薪木を入れて燃やし、火の神が煙とともに供物を天上に運び、天の恩寵にあずかろうとする素朴な信仰から生まれたものである。 火の中を清浄の場として仏を観想する。護摩壇に火を点じ、火中に供物を投じ、ついで護摩木を投じて祈願する外護摩と、自分自身を壇にみたて、仏の智慧の火で自分の心の中にある煩悩や業に火をつけ焼き払う内護摩とがある。また、その個別の目的によって一般的には次の五種に分類される。息災法、増益法、調伏法、敬愛法、鉤召法(こうちょうほう)…諸尊・善神・自分の愛する者を集めるための修法。









 せっかくの主催者側が用意したマイクを通して音量をあげて
くれているにもかかわらず、口上が聞き取れない。
何を言っているのか、意味を理解しようとしても、字面も思いうかばず、情けなく思った(w)。
僧侶たちの読経を耳で聞いて理解できるのは、修行の足りた同僚かもしくは仏の列に加わっておられる天界の神々であろう。
そんな思いで難解かつありがたい口上に聞き入った次第。










 太刀を振り回す山伏の姿をみると、山武士かとおもう。
平安仏教が日本で広がるまえには奈良仏教があった。
当時から僧門の勢力はあったはず。山伏の源は舒明天皇まで遡れば、彼らが武装しているのが通例であったであろう。
時代がくだっても興福寺の勢力や戦国の一向宗など宗教と武力との同居は必然の時代であった。
また一方、今日までの宗教は、それ自身が戦争を駆逐することはなかった。
むしろ戦時体制下では宗教は戦いの精神を鼓舞する方向に寄与してきたと言える。
さて、今世紀の宗教にはどんな展開が待っているだろう。










 噴煙と読経、たぶん般若心経であろう。

『日本では仏教各派、特に法相宗・天台宗・真言宗・禅宗が般若心経を使用し、その宗派独特の解釈を行っている。ただし、浄土真宗は『浄土三部経』を、日蓮宗・法華宗は『妙法蓮華経(法華経)』を根本経典としているため、般若心経を唱えることはない。
真言宗では開祖空海が般若心経を重視したために注釈・解釈を著す僧が多く、著作が色々とある。このうち、特に戦後の日本における高神覚昇・宮坂宥洪などの著作が知られている。
天台宗では、「根本法華」として重視している。また最澄作とされる般若心経の注釈がある。
修験道では、修験者(山伏などの行者)が「行」を行う際に唱える。 』


 

No.  古護摩焚の儀式   内容 Contents
001 神島厄除け大師


この銅像の向かいに護摩壇が設けられた。
四隅に竹が建てられ、注連縄が張られていたが、護摩木はこの場所で頒布されていた。

002 護摩壇の隣の演壇  画像みる    ↓
     



 
  時間までのひとときを、寸劇で愉しんでくださいな。
 役者は地元の方であろう。観客も白衣の遍路姿が多かった。
 
003  採火と点火で一気に盛り上がった  画像みる    ↓

004   噴煙が悪鬼と邪気を払う  画像みる    ↓



 火が見えると一般信者たちが火の周りに集まってきた

 火勢を押さえるためなのか、一人の行者がひしゃくで護摩壇に散水していた。
 生木がくすぶって炎となるまでの噴煙は迫力満点、ビル火災の消火を連想した。
2008/11/04