笠岡市金浦町字観音平の『妙見宮』 、地元呼称は『観音さん』
  
藤三義高、正和三年(1314)祖父道高を祀る「観音寺」を建立す
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2010/09/19 金浦町の龍王山西麓「妙見宮」を訪問
訪問記<金浦の町中の妙見宮を探して歩いた>
 さる人に陶山の祀る観音堂は現在では妙見宮だと教えられて、金浦の町に来た。
当初は金浦八幡神社境内にある観音堂だろうとおもったが、それとは別に妙見宮の隣に「観音寺」の面影を残す一宇を発見した。
金浦郵便局を目当てに町中を歩き、そこから東の山へ登った民家のはずれに建っていた。
 『妙見宮』は写真(上)の左端の御堂、その隣の石柱の後ろに見える御堂が『観音堂』、右端の屋根だけみえる小祀には『七面大明神』
が祀られているので『七面神社』と思われる。正面に立つ二本の石柱には「南無妙法連華経」のお題目が彫り込まれているのを見ると
日蓮宗だと解る。更に『観音堂』の軒先には梵鐘が吊り下げされていた。(写真右上)
階段の登って妙見宮の左側が墓地となっていて、そこには墓石に法師と刻まれたお墓が数基並んで建っているのでこの地が神社ならぬ
寺院跡であったことを伺わせる。歴代この寺院に住居した僧侶たちの墓石であろう。写真中央にみえる観音堂の内部に入ると、正面の
祭壇の扉は閉じられたまま。天井に懸けられた御灯明提灯と紺色の垂れ幕に「聖観世音菩薩」の文字が書かれていることから、ご祭神は
「聖観音」であると判断できるようになっている。入り口には扁額もなく、寺名札も見えなかったので名称不詳。一人で訪ねていれば隣の
妙見宮の関連の社だと思ってしまったであろう。
 この日はたまたまご近所の親切な方がおられていろいろとハナシを聞くことができた。
『妙見宮』は最近になって建てられたもので、私が子供の頃には『観音堂』しかなかった。『観音堂』は現在笠岡市内にある妙乗寺の管理
下にあるので、妙乗寺に行けば詳しいことが解るでしょう、と云われた。ただ代々陶山一族との関係については聞いたことがない。
とのことであった。
ついでにお隣の妙見宮の内部も案内していただいた。こちらは観音堂よりやや間口が広く内装もこぎれいだった(写真右下段)。
吊り下げの御灯明の字面は「妙見大菩薩」と「清正公大尊儀」と「清正公大神祇」と書かれている。清正公とは加藤清正のことなのか?
案内してくれた人も詳しいことは解らなかった。

☆2010/09/25 妙乗寺訪問
 笠岡市内に在る日蓮宗妙乗寺を訪ねてた。
用件は妙乗寺と陶山一族との関係を聞くためだったが、ご住職と面談できたが門前払い扱いか?内容はまったく期待はずれのものだった。
詳細は不明、ただあの一画にある「妙見宮」と「七面神社」は山の頂上近くにあったものを「観音堂」のそばに降ろしてきて祀ったもので、「観音
堂」が元々あの場所にあったと聞いている。観音堂で祀る御本尊の観音像は三十三年に一度御開帳の秘仏であるが、いつの時代にか誰か
が本物とすり替えたものであろう。いかにもオソマツな出来映えだそうだ。
神島の観音庵も33年の秘仏だし、陶山との関係を尋ねたがは全く噂に過ぎない、というより関心領域の遙か圏外だという応接であった。
当方の訪問が唐突だったせいか、法事等のとりこみがあったせいか、会話にはならなかったというのがこの日の成果であった。
<尋ねたいこと>
1−観音堂で祀る御本尊の由緒と来歴、また当堂の開基について
2−書物では第25世陶山道高を祀ったと書かれているが、その痕跡の有無
3−陶山一族の菩提寺として威徳寺や自性院など、関係する寺院は少なくない。日蓮宗妙乗寺との関係についての事蹟は?
など、、、懸案事項である。


妙見菩薩信仰について(Wikipedia) 
 妙見菩薩 仏教における信仰対象である天部の一つで、妙見尊星王(みょうけんそんしようおう)、北辰(ほくしん)妙見菩薩とも呼ばれる。
「菩薩」とは、サンスクリットの漢音写から来た言葉で、「悟り(真理)を求める者」の意であり、十界では上位である四聖(仏・菩薩・声聞・
縁覚)の一つだが、妙見菩薩は他のインド由来の菩薩とは異なり、中国の星宿思想から北極星を神格化したものである。
通常は大黒天や毘沙門天・弁才天と同じ天部に分類される。
古代中国の思想では、北極星(北辰とも言う)は天帝(天皇大帝)と見なされた。これに仏教思想が流入して「菩薩」の名が付けられ、妙見
菩薩と称するようになった。「妙見」とは「優れた視力」の意で、善悪や真理をよく見通す者ということである。七仏八菩薩所説大陀羅尼神呪
経には「我れ、北辰菩薩にして名づけて妙見という。今、神呪を説きて諸の国土を擁護せんと欲す」とある。


陶山道高を祀る観音堂か?「興亡史蹟笠岡城物語」より

 陶山藤三義高は先ず、陶山氏再興の功労者である祖父道高の為に、笠岡山城再興者記念として現在の西浜JRのトンネル西口の旁らの
丘の上に道高を祀る観音寺を設置した。
小さな庵は大正の初期にはあった。(筆者が)小学校五年の頃、父彦一郎と詣でた時にはひとりの僧がいて、いっときの読経の後にお豆腐汁
のご馳走にあずかった。父は財布から銅貨の二、三枚を恐縮しながら膳の中へ納めた。父はこの観音寺に安置されていた陶山道高の位牌
だけを次ぎの如く書き残していた。
顕誉院殿正四位前司道高公義勇一連大居士
   徳治二丁未(1307)年八月廿六日病死 寿六十六

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                                                    位置図: 笠岡市金浦町観音平
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