笠岡の河川について
笠岡市域を流れる河川の統計資料によると、
1−尾坂川 川幅6.8m 延長9.2Km
   流域面積16.32Km2 水量2933ton
2−今立川 7.0m 7.2Km 15.3Km2 362t
3−吉田川 4.0m 6.7Km 15.1Km2 2444t
4−用之江川 2.8 4.2Km 4.1Km2
5−大島川 6.7m 3.8Km 4.9Km2 1681t
 となっており吉田川は尾坂・今立に次ぐ重要
河川である。
人の生活は水に依存し、水管理こそが生活
基盤であることは今も昔も変わっていない。
政治とは治水・灌漑工事のための社会集団
形成の歴史であり、人間が社会的動物である
由縁はこの水とのかかわりを見れば一目瞭然
であろう。
極論すれば水量が人の頭数を決めている。
笠岡は水源を池に求め、治水工事をおこなっ
てきたが、そんななかで数少ない河川のひと
つがこの吉田川である。
吉田村は吉田川の水源であると同時に、尾坂
(鴨方領)との分水嶺になっている。
水分けは人の住み分けとなり、境界となる。
川や山など自然が防示となって村・郷・国が
線引きされてきたのであろう。
この意味で河川の人社会へ与える影響力に
は驚く次第、そんな思いで吉田川を歩く。
(2010/05/12追記) 
笠岡を流れる吉田川は今立川とともに二級水系に属し二級河川である。 その長さは5.0Kmで金浦湾に注いでいる。最下流の
河口橋はJRの「吉田川橋りょう」(写真@枚め) 河口から二番目の橋は「千歳橋」、路線バスもここを走っている。(写真A)
その上流に架かる橋が「たぬきばし」、この後吉浜に「こびつばし」が架かる。(写真C)この上流は大河につづく(写真D) 
大河に架かる橋が「棒木橋」(写真EF) この後川幅が急に狭くなって小平井へ向かう。3万5千分の1の地図はここから
東大戸へ北上し小平井水系は記載なし。一方、国土地理院の2万5千分の1の地図には両方の水系が表記されていた。 
吉田川を遡上する
やはり源は吉田だった!納得です。(2008/06/30 Monday)
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『大河村御普請訳明細書』よりはま物語より
 大河村の、元禄元年(1688)から元文二年(1737)に至る五十年間の、川と池及池の伏樋の御普請の記録を寛保元年(1741)酉五月に時の代官曾根五兵衛に提出
したものである。御普請の土木工事は領主が負担してなされるもので、農民は人夫として雇われ扶持米五合〜一升を支給されていた。材料費や職人の日当は別に
銀又は銭で支給を受けたことが記されている。この書によれば、

 新川(吉田川)は吉田村切谷から発して大河村迄、川路(かわみち)壱里(4Km)、 外に西水川というのがあって、これは西大戸村より発し大河村迄、川路二十町
(2.2Km)川下は吉浜村の川へ 合流するとある。 (2010/11/06 追記)