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笠神
社ル|トをのぼる
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笠岡の地名説話の笠目山(笠神社HP「ご由緒」より)
鴨別命が功あって笠臣の姓を賜り、当社を勧請したとも伝えられている。後にカサメと変じて笠岡となる。
正応(1288)大嘗会和歌集大蔵卿隆博の詠んだ歌に「天の下かさめの山の草木まで春のめぐみの露ぞあまねき」とある。
往古、笠目山(応神山)に応神天皇が御巡幸の際に、狩をされ一陣の風に、天皇の被っていた笠が飛び麓の松の木にかかった。その松を「笠掛の松」と呼び、そこに八幡神社が建てられた。
天文年間に第16代村上天皇の後胤村上左近大夫隆重が、古城山に城を築いてより、累代城主が当社を崇敬し、社殿を改築し、祭祀を厳重にし、永禄13年(1570)8月その式目を定め祭式及び献饌の品を規定し、御供料米3石3斗、銭3貫300文、大御供料米10石、銭10貫文白飯御供料米1石8斗、銀360目同3石6斗、銀720目等の制を設けた。
村上左近大夫隆重の書状に、「当所伏越八幡宮造立堅固候条薦其忠功云々」とある。伏越八幡宮、宮地八幡宮、東八幡等の名は笠神社の中古から慣例の古称であって、現在の笠神社は、「備中国本宮書記略」によって、社号の復旧を願い出て、明治4年正式神社名となった。
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かなり急勾配です
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いきなりの急勾配
登山ルートと名がつく道ははじめて歩くので、この勾配が通常なのかは定かならずも、のっけから息があがった。
階段も手摺もないし、足はすべるし、藪蚊がブンブンまとわりつく。
雑木が茂って太陽光が遮断されて、うっすらと暗い。
当然ながら、視界はゼロ。
流れる汗をぬぐいながら、視界が開けたところまでの我慢・我慢とひたすら斜面に足を運ぶ。でも自分が歩く道すじがちゃんと見えていることに感謝、要所要所に置かれた探求会の方々の標識と登山口でいただいた登山るーと図に感謝、ボランティアの方々の後押しが励みになった。
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やっと展望台
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三愛園車道ルートあり
写真は展望台からの神島方向の眺望風景。
松の若木があっちっこちに植えられていたのが印象的。
途中、県道60号線より三愛園の手前から車で登ってくる道と交叉する。ここで一休みして展望台まで、勾配は緩やかになり日差しもきつくなる。遮るものがなくなると風も通り爽やかだった。
笠岡の海に面した地域が眼前に広がるパノラマ。手前から横島、神島、高島、白石島、北木島、いちばん遠いのが真鍋島か。
笠目山だった時代には南面に広がっていたのはすべて海。
江戸時代の干拓工事の責任当者たちはこの場所まで何度も足を運んだことであろう。ルート図でみるとこの位置から頂上までまだ3分の一は残している感じ。左方向に頂上が見える。せっかく登った高みから一旦緩やかに下り、そしてまた登る。うんざりだった。。。。
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頂上を望む |
応神山の八丈岩 鳧翁曰く。「この山に八丈岩といへるありて遠方よりよくみゆる也」
笠目山 吾里の東に高く横たはれる山にて吸江山もむかしはこの山との尾崎なりけんをきり開きて往来を通せしかとおほし 姓氏録笠朝臣のことはまた楢園大人の笠臣考証を引て備中名勝考笠目山の条にこの処ならんかといはれき
「笠目山時雨 いにしえの御狩 たたしき大君の 笠目の山に時雨 ふるなり」 鳧翁
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八丈岩 |
関鳧翁が書き残した「八丈岩」
写真では頂上の左の斜面に薄っすらと岩の顔が見えている。現地では頂上への小径に目印となるポールと案内板があった。
この八丈岩が右の写真。花崗岩質の山で珍しく原石が露出して目立っている。
1丈とは10尺なので80尺、畳の長辺は6尺、80尺は13畳となる。
メートル換算の八丈は約24m、石の広がる長さが24mだという命名。
ルート図をみるとこの岩以外に、「六畳岩」と「重ね岩」がある。
今回は体力的な余裕がなくて足を運べなかった。この外にも▲点と
なっている外の嶺、「絵師竜王山」「馬飼一本松」の是非いってみた
い処である。
☆2011/02/16 応神天皇御史蹟 應神山
服部千秋謹書 碑 ⇒ ClickHere |
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頂上は
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頂上にたどり着いてはみたものの、、、、
笠岡にかぎらず山は電気と電波の聖域なのかと驚く。
文化的生活と利便性の向上のためとはいえ、高架線とアンテナが
自然を破壊している。
頂上への到達の達成感がいきなり目に飛び込んできた
NTTのアンテナ柵で興ざめとなった。
広くもない頂上のスペースのほとんどが柵に囲まれている。
居場所をさがして一周したがそのまま下山、帰路は大磯へ降りて
みた。写真は眼下にちかづいてくる大磯越しの番町の景色。
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大
磯
へ
下
山 |
下山のルート選択理由
応神山は南には海、北には山と向き合っている。
その故に鳥瞰の愉しみは海のほうがいいだろうと、おもった次第。
大磯六角堂ルートは「つつじや木々のトンネルを抜けて稜線まで
上がれます」とルート案内図にあった。
地図と標識をたよりに下山、つづら折りの細道は消えかかったり、折れ曲がりすぎたりで、何度お礼をいっても足りないくらい案内板が頼りになった。
大磯のどこに下りるのかも見当がつかぬまに濱街道まで到達。
見渡せば、、、何度か見た風景だった。
登山開始が13:30時で大磯着が16:15、膝がガクガクだった。(汗々)
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