笠目山(応神山)山稜を歩く


『古へよりこの地、笠岡の人々が日々仰ぎし山』という印象 2008/07/03 Thursday

地名考

 

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笠神
社ル|トをのぼる

笠岡の地名説話の笠目山(笠神社HP「ご由緒」より)

鴨別命が功あって笠臣の姓を賜り、当社を勧請したとも伝えられている。後にカサメと変じて笠岡となる。
 正応(1288)大嘗会和歌集大蔵卿隆博の詠んだ歌に「天の下かさめの山の草木まで春のめぐみの露ぞあまねき」とある。
 往古、笠目山(応神山)に応神天皇が御巡幸の際に、狩をされ一陣の風に、天皇の被っていた笠が飛び麓の松の木にかかった。その松を「笠掛の松」と呼び、そこに八幡神社が建てられた。
 天文年間に第16代村上天皇の後胤村上左近大夫隆重が、古城山に城を築いてより、累代城主が当社を崇敬し、社殿を改築し、祭祀を厳重にし、永禄13年(1570)8月その式目を定め祭式及び献饌の品を規定し、御供料米3石3斗、銭3貫300文、大御供料米10石、銭10貫文白飯御供料米1石8斗、銀360目同3石6斗、銀720目等の制を設けた。
 村上左近大夫隆重の書状に、「当所伏越八幡宮造立堅固候条薦其忠功云々」とある。伏越八幡宮、宮地八幡宮、東八幡等の名は笠神社の中古から慣例の古称であって、現在の笠神社は、「備中国本宮書記略」によって、社号の復旧を願い出て、明治4年正式神社名となった。

かなり急勾配です
 いきなりの急勾配
登山ルートと名がつく道ははじめて歩くので、この勾配が通常なのかは定かならずも、のっけから息があがった。
階段も手摺もないし、足はすべるし、藪蚊がブンブンまとわりつく。
雑木が茂って太陽光が遮断されて、うっすらと暗い。
当然ながら、視界はゼロ。
流れる汗をぬぐいながら、視界が開けたところまでの我慢・我慢とひたすら斜面に足を運ぶ。でも自分が歩く道すじがちゃんと見えていることに感謝、要所要所に置かれた探求会の方々の標識と登山口でいただいた登山るーと図に感謝、ボランティアの方々の後押しが励みになった。

やっと展望台


 三愛園車道ルートあり
写真は展望台からの神島方向の眺望風景。
松の若木があっちっこちに植えられていたのが印象的。
途中、県道60号線より三愛園の手前から車で登ってくる道と交叉する。ここで一休みして展望台まで、勾配は緩やかになり日差しもきつくなる。遮るものがなくなると風も通り爽やかだった。
笠岡の海に面した地域が眼前に広がるパノラマ。手前から横島、神島、高島、白石島、北木島、いちばん遠いのが真鍋島か。
笠目山だった時代には南面に広がっていたのはすべて海。
江戸時代の干拓工事の責任当者たちはこの場所まで何度も足を運んだことであろう。ルート図でみるとこの位置から頂上までまだ3分の一は残している感じ。左方向に頂上が見える。せっかく登った高みから一旦緩やかに下り、そしてまた登る。うんざりだった。。。。
 

頂上を望む
応神山の八丈岩
 鳧翁曰く。「この山に八丈岩といへるありて遠方よりよくみゆる也」

笠目山 
 吾里の東に高く横たはれる山にて吸江山もむかしはこの山との尾崎なりけんをきり開きて往来を通せしかとおほし
 姓氏録笠朝臣のことはまた楢園大人の笠臣考証を引て備中名勝考笠目山の条にこの処ならんかといはれき

「笠目山時雨
 いにしえの御狩
  たたしき大君の
   笠目の山に時雨
    ふるなり」 鳧翁


八丈岩
 関鳧翁が書き残した「八丈岩」
写真では頂上の左の斜面に薄っすらと岩の顔が見えている。現地では頂上への小径に目印となるポールと案内板があった。
この八丈岩が右の写真。花崗岩質の山で珍しく原石が露出して目立っている。
1丈とは10尺なので80尺、畳の長辺は6尺、80尺は13畳となる。
メートル換算の八丈は約24m、石の広がる長さが24mだという命名。
ルート図をみるとこの岩以外に、「六畳岩」と「重ね岩」がある。
今回は体力的な余裕がなくて足を運べなかった。この外にも▲点と
なっている外の嶺、「絵師竜王山」「馬飼一本松」の是非いってみた
い処である。
☆2011/02/16 応神天皇御史蹟 應神山 
       服部千秋謹書  碑
 ⇒  ClickHere
 

頂上は
 頂上にたどり着いてはみたものの、、、、

笠岡にかぎらず山は電気と電波の聖域なのかと驚く。
文化的生活と利便性の向上のためとはいえ、高架線とアンテナが
自然を破壊している。

頂上への到達の達成感がいきなり目に飛び込んできた
NTTのアンテナ柵で興ざめとなった。
広くもない頂上のスペースのほとんどが柵に囲まれている。

居場所をさがして一周したがそのまま下山、帰路は大磯へ降りて
みた。写真は眼下にちかづいてくる大磯越しの番町の景色。





 下山のルート選択理由

応神山は南には海、北には山と向き合っている。
その故に鳥瞰の愉しみは海のほうがいいだろうと、おもった次第。
大磯六角堂ルートは「つつじや木々のトンネルを抜けて稜線まで
上がれます」とルート案内図にあった。
地図と標識をたよりに下山、つづら折りの細道は消えかかったり、折れ曲がりすぎたりで、何度お礼をいっても足りないくらい案内板が頼りになった。

大磯のどこに下りるのかも見当がつかぬまに濱街道まで到達。
見渡せば、、、何度か見た風景だった。
登山開始が13:30時で大磯着が16:15、膝がガクガクだった。(汗々)


 

No. 公園ガイド   内容 Contents
001 応神山のぼる 笠岡十名山探求会の公式案内図  画像みる    ↓
     
 笠岡十名山探求会案内図 (現在は笠岡十名山のぼろう会と改名)

  笠神社の裏参道を境内に上ったところに掲示あり。
 掲示板の右支柱に下げられた収納袋の「応神山登山コース図」を一枚いただいた。
 道中のガイドも整っていたし、分かれ道にはちゃんと案内があり、そして何より登山道が清掃されていたのはただただ感謝です。
 ありがとうございました。
さて、このルート案内によれば応神山山頂までのみちゆきは全部で11ルートもあるようだ(以下ルート図に記載情報)。
 1-笠神社 → 稜線 → 頂上 (50分) 市街地と干拓をみながら稜線に沿って歩く。
 2-大磯西(ちろりん村) → 車道出合 → 頂上 (45分) 竹林を通り稜線にあがる。
 3-大磯(六角堂) → 稜線 → 頂上 (40分) つつじや木々のトンネルを抜けて稜線まであがる。
 4-徳民於賀(神社) → 稜線 → 頂上 (30分) 急坂をあがる。
 5-鵜の池(富岡) → 池西側 → 稜線 → 頂上 (35分) 月性庵から東へ、畑を抜けて豚舎を左折し稜線にあがる。
 6-絵師公園(南) → 配水場 → 頂上 (30分) とりつき急ですが、展望はよく重ね岩が見所。
 7-絵師公園(北) → 絵師三叉路 → 頂上 (40分) 急坂をのぼる。
 8-笠岡商業野球場(馬飼) → 絵師竜王山 (30分) 竜王山の下からは絵師ルートで頂上へ。
 9-笠岡商業野球場(馬飼) → 直登頂上 (30分) 尾根筋の木々の間を抜けつつ頂上まで。
 10-三愛園(宮地) → 直登で頂上へ (25分) 最短・最速の登頂コース、竹林が荒れているのが残念。
 11-三愛園(車道) → 車道出合 → 頂上 (40分) 稜線までは車でいける、そこから歩きで20分。
 この連絡先
  笠岡十名山のぼろう会(0865)-62-5544 佐藤さん 市役所窓口もあるようだ→産業振興課 (0865)-69-2147
002  実際歩行略図(笠神社登山~大磯六堂下山ルート)  画像みる    ↓

稜線分岐

道案内
by笠岡十名山会
『笠神社ルート
 笠神社→稜線→頂上 笠岡市街地や干拓を見ながらなだらかな稜線を歩きます。』
 ガイド説明には50分で踏破とある。
 最初からこの標準タイムは自分にはムリだとわかっていたが、やっぱり倍ちかい時間でなんとか頂上まで行き着いた。
 実際に自分で登ってみて思うことは、ムカシから人の往来があればもっと道が整備されていただろう、という印象。
 また、この山に難攻不落の名城でもあって堅固を極めた歴史でもあれば、山の景色も変わっていたことでしょう。
 
003 富岡ルートから応神山踏破 2009/05/15(Friday)  画像みる    ↓

南方眺望
瀬溝(せみど)が見える。瀬見門ではないだろうか、速い瀬の意

2011/02/16
正面碑文
 笠岡市教育委員会発行の『笠岡の文化財』 (昭和59年12月改訂版)によると、

 笠岡市の文化財のうち国が重要文化財として指定した場所・物・舞踊など、合計11カ所を数えている。
 そのうち指定第一号は昭和17年10月に白石島の鎧岩が天然記念物として指定、その翌年昭和18年8月にここ應神山(笠岡市街地東方)が名勝
 として指定された。その時の記念碑であろう、かろうじて碑文字をたどると「応神天皇御史跡 應神山」と読める。
 應神山頂上から東へ数百メートルの手前、稜線から北面に下ったところに八丈岩がある。その岩石群の東端にこの碑が建っていた。
 岩盤から身を乗り出さないと正面から読めない位置なので、碑文の全体が読めず、残念。 特に揮毫した署名はかなり離れて、かつ斜め読み
 になるので不満が残る。
 ここ應神山からの景観はこの北方の山脈ではなく、南方方向の海に浮かぶ瀬戸内海の島々と笠岡市街地の景観美だろうから碑文も南面に
 もしくは頂上に据わったほうが居心地がよろしかろうと思う次第。
 とはいっても遙かかなたの旧山陽道のあたりの山々が笠岡の北限域の背景にみえるこの北方景観もなかなかのものだ。
 (応神山を国の景勝地として指定したのはこの場所からの眺望なのか?多島美を誇る瀬戸内海の展開であれば方角が顕かにちがっている。
  応神天皇が狩りをした場所としての特定であれば八丈岩との関係?この場所にこの碑を建てた人々は應神山の正面が北面していたと考え
  ていたことだけは想像できる。)

 より詳細は(2011/02/16)ClickHere
2011/02/16 更新 2008/07/07