「世の中は さらに宗祇の やどりかな」
(世の中盤 さらに宗祇乃 やと耳哉)
(芭蕉 笈の日記にはこの句はなくて、
”世にふるもさらに宗祇のやどりかな”が掲載とか
by 藤井寿幸著「おやこんなところにこんなものが」で指摘されている。)
安永八年(1779)三月、丸山株周が建立
別名 「鏡石」という
休石
西国へくだり侍りし時、備中の国かさおかにて
「山松のかけやうきみる 夏のうみ」
連歌師宗祇は明応三年(1494)三月
弟子の宗長、宗作を連れて山口へ向かう途中
笠岡の陶山一族訪ねて詠む。
寛保二年(1742)三月、江草南江が建立
現古城山公園の碑文の岡を歩く
↓↓旧くは『海松岡』(みるがおか)or『吸江山』or『高松の城山』という
| No. |
公園ガイド |
内容 Contents |
| 001 |
古城山公園文学碑めぐり略図 |
画像みる ↓ |
| |
|
|
読み人知らずの『古城山公園文学碑めぐり略図』
古城山の頂上設置されている。
この案内板が登山口ではなくここに在るのは、「平素から徒歩登山者がいない」ことを如実に物語っている。
登山口で案内すべきだし、案内表示をした当事者は記名すべきだろう。
そして何故この公園に碑文を集めるこのになったのか、その経緯ぐらい知りたく思う。
|
| 002 |
市都市計画課設置の公園案内板 |
画像みる ↓ |
|
 |
|
|
☆2008/09/06『郷土史愛好G』
笠岡城は江戸幕府二代将軍「徳川秀忠」の時代に発令された「一国一城令」により取利壊された。
その時代ははっきりとはわからないが、元和三ー四年(1617-1618)頃かとおもわれる。
明治40年(1907)未新田の埋めたてのために切りさげられ、その遺構はほとんど消滅した。その中で、南側の斜面に僅かに石垣
跡が残るのと、笠岡城の城門が小平井の「乗福寺」の山門として移されて残っている。
【サイト内リンク】 笠岡城に残る石垣 ⇒ ClickHere
|
|
|
2009/09/26更新 |
2008/06/19 |

|
|
| |