『淵蔵(後の藤陰)は、この地特産の瓜をこよなく好んだ。彼の蓴羹鱸膾(じゅんこうろかい:故郷を懐かしく思う情。
「蓴羮」は蓴菜(じゅんさい)の吸い物。 「鱸膾」は鱸(すずき)の切り身料理。晋の張翰(ちょうかん)が、
自分の故郷のこれらの食べ物を懐かしみ、官を辞して帰郷した故事による)である。
茅原の瓜は、一名石子瓜と呼ばれるほど皮は囲いが、果肉が驚くほど甘い。この原で育つ瓜だけがそうなのであって、
その種子を、他の地に蒔いても、甘みも皮もごく普通の瓜にしかならないのだという。
夏日、石子瓜を井戸水に浮かべて、冷たくなったのにかぶりつくのである。江戸で淵蔵と宗太郎(藤陰の兄、関鳧翁の
長子、共に江戸昌平黌で勉学す)は、その甘味を思い出しては、たえず生唾を飲み込んでいた。』
2011/01/09 Edited
茅原という地名の所在 [笠岡市史]資料編上巻、平成11年10月刊行より
「茅原」は今の笠岡小学校の西から笠岡商業高等学校の下辺までの通称。この辺一帯はその頃奈良漬けの原料の石の子瓜の産地だった。
昔は茅が一面に生えていた野原であったから、この名があるのであろう。今は見る影もなく、笠岡幼稚園、大塚工場跡をはじめ、住宅が立ち
並びその名も昭和通と呼ばれている。今から一五〇年ほど前のものと思われる。
2011/04/26
今年の四月より笠岡市民講座として『関藤藤陰と幕末』という教室がスタートした。この講座は笠岡市中央公民館が場所を提供する自主講座と
かで、昨年の市広報誌に公墓記事が載ったを見て申し込みをしていたところ、三月初旬に開講通知書が届き、四月十二日に第一回目がスタート
となった。講師は地元在住作家、栗谷川虹氏。毎月第二・第四火曜日に開講し、来年三月までの合計24回の予定である。
2011/04/12 講師の著作『茅原の瓜』より抜粋された抄コピーが教則本として配布された。聴講は約10名か。現在第2回講座を聴講済。
その席で掲題漢詩の解説があった。
関藤藤陰の長編伝記三部作、書題には「小説」の副題付きではあるが「茅原の瓜」(青年時代)2004/04出版、四年後には続編「四方の波」(壮年時
代)2008/07出版、そして完結編となる終章(副題不明⇒晩年・幕末か?)を現在執筆中であると伺った。まだ二回の受講だが、ペンを執った方の肉
声朗読を聴く機会が得られたことだけでも貴重な体験である。講座の内容も實に面白く、二時間という時間が瞬時に終わり驚いている。
| 2011/08/09 これが石子瓜? |
この日の講座に有田在住のIさんが教室に持参された石子瓜候補の瓜三個。 最初は青いが
熟れてくると白へと変わる。このまま食べるとお馴染みの黄金色した真桑瓜のように水々しく
甘味があって悪くない。冷水に漬して食べればより夏の暑気払となりそうな風合いである。
ご自宅の隣の農家で毎年栽培されているそうで、どちらかと言えば湿地に生えているそうで
肝心の名前は?と問えば、石子瓜とは呼ばれていないことだけは明確だった。
真桑瓜はメロンの仲間でウリ科キュウリ属メロン種の変種のことらしい。
日本への渡来は古く、この系統の種子が縄文時代早期の遺跡(唐古・鍵遺跡)から種子が発
見されており、2世紀頃から美濃国(岐阜県南部)真桑村(のちの真正町、現:本巣市)にてよく
作られていたため、マクワウリの名前がつけられた。さまざまな品種があり、アジウリ(味瓜)、
ボンテンウリ(梵天瓜)、ミヤコウリ(都瓜)、アマウリ(甘瓜)、カンロ(甘露)、テンカ(甜瓜)、カラ
ウリ(唐瓜)、ナシウリ(梨瓜)といった様々な名称で呼ばれてきた。(Wikpediaより引用)
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