| 画題 |
詩歌 |
往時の風景 |
現今目線の風景 |
八幡社
聞鵑
by
Unknown
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八幡社
我里東八幡宮の社にて宮居かうかうしく松杉いといと神さひたり
このあたりすへて時鳥おほき中にわきて待たんにも聞むにも此処いといとよろし
「よにしのふ
ねきことなれや郭公
八幡の森に
夕かけて啼」
by 高雅 |
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『鵑』は「ほととぎす」のこと。音読でケン
晩春に啼きその声は哀切。くえん、くえんと啼く声の擬音の字。
『時鳥』 その時節に啼く鳥、ニッポンでは「ほととぎすを当てる。
一方、『郭公』は
さびれたさまのことを「閑古鳥が鳴く」というが、この閑古鳥とはカッコウのことである。古来、日本人はカッコウの鳴き声に物寂しさを感じてたようであり、松尾芭蕉の句にも「憂きわれをさびしがらせよ閑古鳥」というものがある。
☆笠神社 ⇒ ClickHere
絵では鬱蒼とした社に見える。
松と杉がいといと神さびたり。今は
境内に残るは銀杏が数本宮道の
下に棚田があるのも変貌してる
☆北八幡社 ⇒ ClickHere
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笠目山
時雨
by
西浦
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笠目山
吾里の東に高く横たはれる山にて吸江山もむかしはこの山との尾崎なりけんをきり開きて往来を通せしかとおほし
姓氏録笠朝臣のことはまた楢園大人の笠臣考証を引て備中名勝考笠目山の条にこの処ならんかといはれき
「笠目山時雨
いにしえの御狩
たたしき大君の
笠目の山に時雨
ふるなり」 鳧翁
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応神山の八丈岩
鳧翁曰く。「この山に八丈岩といへるありて遠方よりよくみゆる也」
当時から笠目山を応神山とも呼んでいたし、この山のふもとを宮道(今は宮地)と呼んでいた。同一の山(または海とかの自然の呼称)に名前が二通りある場合、異なる文化(集団)が隣接していたにちがいない。その集団は相互に統一される時期まではそれぞれの呼称を使っていた(と考えられるがどうだろ? |
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米谷秋花
by
岡本霞嶠 |
米谷
独松嶺をあなたに下り立たる処にてここは馬飼村の内なれとも我里人の花折きのこかりなと春秋たへす遊へる所なれはとまれかくまれ吾名所といはむもひかことにはあらさるへし
画は岡本霞嶠
通称平吉
吾里の人にて初の名
米谷といへりしも
此処の名によりたるなり
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馬飼村「大字図」に小字『込山』あり
地元では「こめぇ~たに」と呼ばれ
て名勝であった。込⇒米であろう。
近くには白石(しろいし)破石(われ
いし)と石にちなむ地名があって、
この辺りが粗粒の黒雲母花崗岩の
土質による白石景観地だった。
fm: 市史・資料「地名編」 |
茅原瓜田
画 by
松庵
or
草谷
尾道の人
<註>
石川淵蔵とは関藤藤陰のこと。
作家栗谷川虹氏の同名の著作あり。茅原の場所はどこ?⇒Click |
茅原
小丸山の北の麓田頭まてなる処をいう
そもそも石の子瓜は我里の名産にてこのたね他にうつせは
たちまちかはりてなみなみの瓜となる
これううる処我里数多処なれと此あたりわきておほく花の頃実のころながめも又涼し
味ひのみにあらす
漢詩は石川淵蔵
氏名は章 字君達
号 藤陰 通称渕蔵
吾師関鳧翁の弟也
(藤陰主人章 印)
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小丸山の北
田頭までの麓とは?下の小字図でいうと殿川から大久保~狼辺りのことだろうか。絵では山が描かれている。加入堂山かもしれない。大正から昭和にかけて、殿川から北は畑が続く情景だった。井原・矢掛への分岐である追分までの道はゆるやかな登り坂。その麓の斜面が瓜畑になっていたのだろうか。
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田間乱蛍
by
饗葉
泰文山 |
田頭
我里の北市中を少しへたてて
田家あまた有
川壱すち中におきて彼面此面の田畑に夏の頃蛍いと多し |
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田頭と蛍
隅田川の清流に蛍が生息していたのだろう。隅田川は西ノ浜から西本町~八幡平と北にのぼりこの田頭で東へ曲がる。この絵は南から北を見た絵であろうか。左の山が地元では宮崎山。
ここに「岩塚稲荷宮」がある。
☆2009/02/23 この稲荷社を発見、ClickHere
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追分
池水鳥
by
吉川松谷 |
追分
田頭より十まちはかり北にて大いなる池有
納涼月見なといとよきのみならすこの池水吾里の田大方をやしなへり
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追分は江戸時代から笠岡の町からははずれていたようだ。
その意味で笠岡市外地区(市内はずれ地域)の西域が西浜村、東が大磯、北がこの追分だろう。田頭から十町北へ今でも池が在る。
笠岡旧市内へこの池から隅田川が流れている。笠岡井原線の道路に沿って南流する墨田川に沿ってかっては軽便鉄道が走っていた。
鬮場から大井村への軌道敷の跡は今でも残っている。
この軽便道を歩いた。 ↓
軽便道 ⇒ClickHere
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鼓渓梅林
by
加藤棕蘆 |
鼓渓
龍王山を北西の方へおし下ればやかてこの渓間にて鼓石といへるあり
岩間行水の流れいと清く夢はかりのけかれなし
今より四五十年はかり前まては此辺梅花いとおほかりしを彼処の里人としとしに切たやして畑となしつる
この処は木之目村のうちにてかの米谷とひとしくはつかに我里と地を接したり
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「木之目村地名編」by 市史
南端にある小字竜王の北側、メトウ岩と大谷から西南へ進めば西浜だわを経て西浜村の峠(たわ)から町の中心部へ出る。またこの谷の古道を右折すれば竜王山の南を経て笠岡の八幡平へ通じる。西浜だわにもどって左に下りると小字「塚の谷」にでる。
この道筋が左の鼓渓に至るのである。 (☆2011/02/20北八幡宮から歩く)
木の目道 ⇒ ClickHere
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独松嶺
眺望
by
海客
(貫名海屋) |
独松嶺
宮地畷(なわて=畦)の辻に一樹のふるき松あり
往来の人畑うつ男ともの憩ふ処にてこの処より海原はるかにうちわたされて景色いとよし
独松嶺逢雨
白雨(ゆうだち)の
はれまをまつのこすえ
より
蝉の声さへ
しくれきにけり
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独松の姿は判るが、その周辺の外観がさて何処だろう?と思える絵だ。
松の生えている箇所が宮地であり、この場所と海との位置関係で絵を見ると手前の山は応神山である。
続く海原は大磯だとすれば、その沖に横島もなければ神島もなし。
(描く画面の外側だよ~っ!?)
応神山の裏側を道が伸びているのは小丸南平から馬飼越の街道だろう。
とすれば、画面の一番手前の木の繁るあたりが古城山でその先の木の繁りが笠神社か?
神社の本殿はおろか宮地~浜田~笠岡の町にも一軒の家屋なし。
宮地・馬飼道 ⇒ClickHere
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遍照寺
鐘声
by
馬場竹琴
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遍照寺
光明山金剛院此辺真言宗の本寺にして広く六勝あり
『遍照寺報時鐘』
鐘の音はおなし
ひゝきを
おきよとも寝よとも
人のうえに聞くかな
by 鳧翁
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一説には陶山藤三義高が鎌倉時代末期(応長元年(1311)とも元弘元年(1331)ともいわれる)に、吉田村(妙見山の西麓、花操峠の付近か、ここには壇ノ池・ドウドウ池・石塔などの地名が残る)から笠岡仁王堂へ移したといわれる。史実を語る確証なし。
史料として残るのは、応永十九年(1412)に京徒北野の天満宮に一切経の倉があり写経所があった。
そこの大般若経を写したもののなかに
備中国陶山庄笠岡遍照寺の名前と僧
の瑛乗(えいじょう)・宥兼(ゆうけん)・宥真(ゆうしん)・妙安(みょうあん)・覚真(かくしん)・定泉(じょうせん)の署名が残されている。また、陶山庄は陶山氏の荘園だというのが定説。
遍照寺Photo ⇒ClickHere
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威徳寺
観雪
by
Unkown
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威徳寺
笠岡山という禅宗なりこの地山寺にて庭の姿なとわさとならすおかしく作りなして花の頃月の夜なとのなかめよきか
中にも海山かけたる眺望の地にてここよりは我里隈なくみわたされ
とりわけ雪のけしきおもしろき処なり
『威徳禅寺賞雪』
月花をめてし
日数もいつしかと
つもれは雪の
ふるてらの庭 |
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曹洞宗笠岡山威徳寺。
元臨済宗の寺で鎌倉時代に陶山義高が開基したとされる。笠岡山は陶山氏が居城を金浦から移し笠岡山城を置いた所。(笠岡市HPより)
西の山竜王山の麓に在り、境内には陶山一族の山麓に散在し苔むす五輪石を壱ヵ所に集め慰霊する碑文が建っている。
「(前略)戦国の世に城滅びて四百数十年、茲に一門ゆかりの威徳寺の一角に古墓石を集め祀りてその霊を慰めんとす。
願わくば、魂魄この地に鎮まりて城下を守りたまえ。昭和61年5月吉日
笠岡山城を古墓を祀る会」
威徳寺Photo ⇒ClickHere
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☆サイト内リンク
| 日付 |
地域 |
表題 |
内訳 |
| 2011/02/07 |
笠岡追分 |
新池地神祠 |
追分の新池の南に石の常夜灯がありそのそばに小いさい祠が建っている。この中に珍しい地神碑あり。 |
| 2011/02/01 |
笠岡追分 |
神功の井 |
神功皇后が三韓征伐の帰途にお立ち寄りになり御裳を洗われたという伝承の井戸。口碑のみで文書はなし。 |
| 2010/11/30 |
下田頭 |
下田頭地神碑 |
自然石型地神碑、現在も地元の方が社日に祀る。場所は県道34号井原笠岡線、中電田頭変電所の西側道路脇。 |
| 2008/12/28 |
宮地 |
笠神社 |
明治四年より今の社名、以前は伏越八幡宮、宮地八幡宮、東八幡など 。創建は永禄八年(1565)四月二十五日 |
| 2009/04/26 |
八幡平 |
北八幡神社 |
寛永3年(1626)、氏子間の諍いが原因で東八幡神社(現「笠神社」)より分祀「北八幡神社」 |
| 2008/07/03 |
笠岡全域 |
応神山を歩く |
『古へよりこの地、笠岡の人々が日々仰ぎし山』という印象の笠岡の霊山を縦走。この山の正面は北側だと実感。 |
| 2009/02/23 |
上田頭 |
岩崎稲荷他 |
「岩塚稲荷宮」と「三社稲荷社」がある。石鳥居の高さは驚くほど低く、稲荷社は石積みの祠に鎮座。 |
| 2009/11/02 |
上田頭 |
岩塚稲荷古墳 |
古墳は消滅。稲荷社はごく最近再興されたものだろう。朱塗りの鳥居もピカピカだし祠も真新しい造りである。 |
| 2008/05/10 |
西浜 |
光明山遍照寺 |
門前町笠岡の中核寺、伝承によると創建は白鳳期に吉田村、其の後元弘年間(1331ー34)に笠岡へ移転す。 |
| 2008/10/19 |
西浜 |
笠岡山威徳寺 |
開山は文保年中(1317-1319)陶山藤三義高の頃で、義高は朱印地として拾三貫を給し菩提寺に定めたと伝う |
| 2008/06/10 |
笠岡 |
古城山公園 |
笠岡遊歩のスタートは茂平散策からはじまって、古城山周辺の散策につながった。史蹟が混在して眠っている |
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