夫より湊を見れば東西仲仕小家 中に浜会所 間室方軒ならべ中東西波戸をツ築出し 北前船にて米穀肥し類の如く 数艘の出入り舟荷役せしさま 問屋の番頭 手代 帳簿算盤にて忙ケ敷
仲仕衆の元気らしく 持運ふ有様 流石湊の繁昌目を驚かす計りなり
大船も数艘きた米湊山 目を三角に問屋丸なる
西東力競ふる仲仕衆 山も散して運ふ町方
☆東中西波戸と力石
笠岡資料館に展示されていましたよ。 ⇒ Click Here!
☆宮地発見!
明治六年の測量図として小田県庁跡の
案内板に地図が描かれていた。その絵を見て、古城山通りから土手を昇って南に歩いていくと、↑ここ♪
「ここは笠岡の宮地です」とあった。
篠崎小竹(しのざき しょうちく、天保元年4月(1781年) – 嘉永4年 5月8日(1851年))は、江戸時代後期の日本の儒者・書家。幼名は金吾、名は弼(たすく)、字は承弼、小竹は号で別号に畏堂・南豊・聶江・退庵・些翁などがある。
...
澤三石
(1772~1853)は安芸の人、名 は喬、字は伯遷、号を三石・梅ウ(阜+烏)などと 称し、芸州広島藩浅野公の年寄職を務めた文人武 士。
☆2008/06/17 Tuesday
吉浜の菅原神社を参拝し、濱街道を東へ、湾頭を経て金浦へ。
いった!♪Click
関藤藤陰(1807-1876)
吉浜の医師・神官の関藤政信の第4子に生まれる。だが、生まれてすぐに両親が他界、父親の医師仲間であった同国の石川順介の養子となり敬業館で学ぶ。その後江戸にのぼり頼山陽の元を訪れて弟子となる。
☆2008/06/10Tuesday
陣屋稲荷を探して市内を歩く。
稲富・朝庫・笠岡稲荷等、
新たな発見にもつながった。♪
この場所は稲富稲荷の宮司さ
んが教えてくださった。
Click Here to 陣屋稲荷
☆2008/06/17 Tuesday
伏越の踏切を渡り地福寺の石段を登り境内と庭園と墓苑を見ました。
木製の句札も発見!♪Click
酒井 器
通称百太郎 号大同
陸奥ニ本松藩士
今京師に住めり
・・・・ネット検索
なし。。。。。
馬場竹琴
備後尾道の人
・・・ネット検索結果。。。。
ヒットなし
貫名菘翁(ぬきなすうおう)
安永 7年7月3日 (1778年 7月26日 ) - 文久 3年5月6日 (1863年 6月21日 ))は江戸時代 後期の儒学者 、書家 、文人画家
。阿波の人、京師にすめり
吉川松谷
江戸末期の画家。寛政12年(1800)生。近江の人。名は米、字は明啓、別号に少穀・樵谷、通称を松之助・巳之助。彦根藩士であったが、大坂に移り住み画業を営んだ。精妙な花鳥画や、人物・山水を得意とした。安政3年(1856)没。