| 備中国鴨方「青佐山城」△249.4m 大島側には中腹附近まで民家が見えている。小字名は大空 |
訪問DATE: 2009 11 25 ![]() 「青佐山西北(搦手側:大島中正頭附近)からの城跡を眺望す |
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| 「青佐山城」 (「日本城郭大系」他より抜粋) 標高249.4mの海辺に近い山頂にある。細川道董に よって築城されたといわれる。 (青佐山城つついての記述は以上) 「青佐山城跡(「青佐山城について」 1990年 黒住清氏著) 青佐山は笠岡市大島中と浅口市寄島町との境にある 海食地形の円錐状台地で標高249m、山頂よりは瀬戸 内海国立公園諸島や中四国遠山が眺望できる要害の 山である。山城の模式的な造りで、山頂は三段に区分 され、一、二、三の丸を形成、東南を追手に西北を搦手 として中腹に出丸、水の手、堀切、山麓に居館の 痕跡をとどめている。 頂上(一の丸)東西23M、南北12M、頂上の西方に下段 の平地東西11M、南北17M。 中段(2M下る二の丸)幅3M、但し南方は8M、下段(5M 下る三の丸)幅3Mの平地四周をめぐる。 但し南方は11M。 |
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2009/11/25 Created 細川道董公の事蹟 細川管領家の後裔にあたる満国は備中国浅口郡・矢田郷・伊予国宇摩郡・温泉郡・摂津国小林上下庄、丹波国畑之庄 などを領地し、鴨山城を初めて築いたという。 満国から数えて七代道董は永禄二年(1559)に伊予川之江城から毛利の援助を受けながら、大島村に上陸。ここに青佐 山城を築城してこれに拠ること七年間、永禄九年(1566)に鴨方六條院の龍王山城を創設して移り、ここに九年間居城した。 その後、天正三年(1575)に父祖伝来の鴨山城に入城し大修理を完工したと云われる。 道董は主城を鴨山城に置き、北に杉山城、西知山城を南に龍王山城・青佐山城を支城として配置し浅口郡における細川氏 の勢力を回復した。 道董は天正十五年七月晦日、長門国赤間関の尾道へ向かう船中で没するまでの12年間を鴨山城に居城した。享年五 十三歳。 さて、道董の子元通は浅口少輔九郎と称し慶長五年関ヶ原役後、長州藩主毛利秀元の客将として此の地を去りって一族 は長州で明治維新を迎えた。(日本城郭大系より) 「寄島町誌」によれば、 住吉清氏「大島村畧記」によると、大内義隆の死後の青佐山城を藤沢秀清が大内義直とともに維持し、さらに道董の居城 時代を経て、道董の龍王山移城後の青佐山城を赤澤修理助・原田和泉守種雅・大島政清・今城掃部助等が守ったことを旧 記が伝えていると記している。(2010/12/25) |
位置図: 浅口市鴨方町寄島 <周辺史跡 サイト内・リンク> 菩提寺長川寺 → ClickHere 鴨神社 → ClickHere 寄島青佐山砲台跡→ ClickHere 鴨山城 → ClickHere 2010/12/06 大島側より山頂へ登る → ClickHere 2010/12/22 鏡より青佐山を見る ⇒ 陣屋跡あり |