| 寄島〜鴨方に在る茶臼山城の縄張り図 「住吉巴文書」に発見! 2012/01/19 |

| 2012/01/19 茶臼山城の見直しちゅうに縄張り図を発見! |
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| 茶臼山城趾(「浅口郡誌」より引用) 海抜190mあり。大島村柴木に屹立せり。柴木の西端、東光坊より山の背に沿うて唯一の登山路 あるのみ。頂上に東西1町を距てゝ二個の圓形平地あり。西端一の丸は三段に分る。それより東に 行くこと一町にして三の丸あり、上下二段に分かる。下段は頂上より十数尺を下りたる所にあり。 平地四周を繞り東と西に廣し。 山勢北方は急斜にして南方は稍緩やかなり。山の東腹に孝子甚助の屋敷あり。南麓は所謂東光坊 の墳暮にして、五輪塔・骨壺等散布し茶臼山の名是より起こりしものならん。城主大内摂津守。 茶臼山東光坊の佛蹟地と骨壺(松枝惣十郎指導調) 茶臼山城趾の西南麓なる車塚型の小丘に火葬の骨壺および古式の五輪石塔散在し、それより東 方1町許りにして東光坊の佛蹟地あり。古老の説に平坦の畑地より数個の並列せる竈を発掘せりと 云ふ。また車塚の南方1町許りの山林中にも平地ありて五輪石塔散在するを見る。 - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - <城郭メモ>再掲 茶臼山城址(「里庄村誌」(大正13年刊)より 「新庄の東南境にて海抜190m大島村柴木に峻立せり。山容臼状に似たり。登路一條あり北方は急斜面にして南方は やや緩やかなり。西端に一の丸に三段に分かれて東と西に広く平地四周を繞り、全面荒草繁茂し松林鬱蒼たり。五輪塔 骨壺など散布せり。此の城主に就いて「備中誌」には天野右衛門尉とあり、また「備中府誌」も同説にして且つ其の先祖 は天野民部太輔政貞なりと記せり。 (政貞武勇の事、太平記に委し)両説とも年代履歴分かり難し。然るに「備陽國誌」には大内摂津守居城なりとあり。 (附記)城山下、新庄地内には字夜打ケ原、隠れ谷、鐘堂等の地名残存せり。按ずるに或いは古戦場なりしやと懐はしむ るも其終始を詳らかにする能はざりき。 |
| 位置図: 浅口市寄島町柴木(大島・里庄・寄島の分水嶺) |