台風一過、6号通過後の安倉の海を訪問す
 自然石型の地神碑2基、情報源は「寄島町誌」掲載記事による。記年号なし。
訪問DATE: 2011 07 20 

西安倉の金比羅宮境内の地神碑
 
 中安倉の金比羅宮は海岸道路から一本山
際に寄った旧道沿いに鎮座、写真は祠の右

中安倉の荒神社の境内地神碑
  

 安倉八幡神社の参道を左折し、道なりに山に
登ると荒神社がある。祠の左に建っていた。

2011/07/21 Created
  安倉の地名説話(「よりしま地名考」より)
 
   神功皇后伝説によると、「皇后が朝鮮半島から帰途、この地に船を寄せられて上陸、『あくらは』と尋ねられた。『あ』が自分、
 『くら』は坐る場所、すなはち『わたしの休憩する場所は』と尋ねられた。人々は小山の上に案内した。それで、いまでもそのあ
 たりを『安倉』と呼んでいる。」と伝えている。
  また、江戸時代、東安倉の西端に年貢米を収める「お倉」があったところから「安倉」と呼ばれるようになったともいえれる。
 さらに、瀬戸内海地方の古語によれば、「アク」は低地を意味し、「ラ」は海浜を意味する海辺の地名という。
 岡山市南部に飽浦(あくら)があり、瀬戸内海沿岸に多く「阿久良」と表記するところもある。
 寄島の安倉の地名は「寛永備中国絵図」(1624-1644)に「西六条院内安倉村」と見えるのが初見。

 安倉地区は西・中・東の三地区に分かれ、西は国頭に接している。
 国頭から海岸道路を北に一本入って車で進むと、そこは旧道でかっては海岸線であった名残が残っている。
 金比羅宮の名前を刻んだ常夜灯や、地蔵仏像など、特に船の安全を司る「金比羅大権現」はこの地域に多く祀られているようだ。
 そんな町並に鳥居があって、金比羅宮の境内に地神碑があった(写真、右上)。正面の拡大図は写真上の右下のはめこみ写真。
 中安倉の荒神社は三荒神と呼ばれて、各地区にそれぞれ鎮座していると聞いた。この日訪ねたのは中安倉の安倉八幡神社の
 北側の山の中腹に鎮座。小祠の隣に地神が鎮座していた(写真、右下)。
 五角柱地神は西大島~中大島乗時の分布を東限として、西大島の迫~鏡など北よりの地域からこの寄島(旧東大島)には自
 然石タイプが分布するようだ。                                                (2011/07/20記)

 

位置図: 淺口市寄島町中安倉

 近隣地神碑< サイト内・リンク>

  大島乗時地神(上道鎮座)→  ClickHere
  今立川左岸(金刀比羅宮)→  ClickHere
  今立川右岸(嚴島神社) →  ClickHere
  
  寄島鏡地区の荒神社には自然石「地神社」
  がある。しかも明治十八年と刻まれている。
  同じ時期の建立か?   →  ClickHere
  
  
さらに西大島西迫には荒神社+自然石地
  神の組み合わせが見られる。
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