藤井皓玄の「高屋城」探検イベント by 井原市文化財センター
 五重の堀切、縦状に幾重にも掘られた畝堀・竪堀、本丸~三の丸がそのまま残る
訪問DATE: 2009 03 29(日) 

芳井・上野公民館から尾根伝いに高屋に南下
井原市内から高屋城への道行きは、県道313号線を走
り芳井へ北上。昭和橋を渡り、芳井遂道を抜けて生涯
学習センター前を左折する。あすわの建物を左手に見
て車を左の山の進める。ここから登坂、芳井の山はど
れも地図でみると標高が250メートル前後である。
この最初の山の頂に「上野公民館」があった。付近には
鶏舎であろう、民家が何軒か建っていたが鶏の声は聴
こえなかった。用意されたスペースに駐車する。
この場所から林道に沿って途中まで歩く。総勢30余名、
市の方の説明だと行程約1.6Kmで一時間弱だという。
 現在では高屋からの上り道は消滅だとか、林道から
はずれて尾根伝いに2山を越えて歩いて南下した感じ。
城の北方、搦手(からめて)と言うらしい。から本丸をめ
ざして上る。足下には堀切と呼ばれる遺構があって、縦
状に尾根を削り取って下まで延びているという。
この堀切を迂回して歩く通路を犬走りという。伝達用の
通路の意味だろう。竪堀は落石によって敵の侵入を防御
したらしい。そしてようやく本丸。平坦に削り取った面を
曲輪(くるわ:郭とも)と呼び、その郭が何個かあって連郭
式山城と呼ばれる。肝心の眺望は雑木が遮っていた。

2009/03/30 Created 井原市文化財センターからの資料より
 『◆高屋城の立地と構造
  山陽道から北に芳井方面に抜ける高屋川でできた谷筋には多くの山城が築かれています。そのなかで最大の山城が石谷集落を
見下ろすように築かれた藤井賠玄の出城であった高屋城です。この高屋城は、標高255m、南西方向に伸びる尾根上に築かれた
連郭は山城で、尾根の付け根に五重の掘切を掘り、さらにはその堀切から斜面を下る畝堀を造っています。
堀切には土橋状の遺構も残り、堀内の障壁の可能性もあり、また、城本体の北側にも畝状の竪堀を設置し、周囲には、腰曲輪、犬
走りなども残ります。本丸より南西方向には三段の曲輪が造られ、そこからは急激に石谷集落へ下る斜面となります。本丸部分には、
花崗岩の岩盤を掘削した、井戸状のものも残りますが、地元に伝わる伝承では、北西方向に脱出する抜け穴であったとされています。』



位置図:井原市高屋町(石谷)
<藤井皓玄関連>

  藤井能登守皓玄略伝 → ClickHere
  正霊山城阯       →  ClickHere
  神辺城攻防史      →