野上町「関衆利の墓」と古刹曹洞宗「禅洞山永祥寺」
 永祥寺の寺門の前の作州古道の山際にポツネンと単基の立ち姿である。
訪問DATE: 2011 03 24 
一橋陣屋跡地附近に関家の居館があったという(神戸川畔)→
永祥寺の境内に眠るとあるが、、、 
 写真中央の道路の脇の墓標が関衆利の墓。
少し寺門に戻った場所に上の写真の如き僧職と思える墓石群があり、明かに同じ墓地とはいい難い。関衆利公はまったく隔離されたように道脇の斜面に建っている。森藩の最後の子孫は赤穂へ移封となり明治維新を迎えたという。その間、衆利公の香華料を納め続けたようだが、唖然とせざるを得ない。

2011/03/25 Created
  
関衆利 悲運の生涯 by 「西江原史跡顕彰会報 第28号」 dd.平成15年3月10日 寺戸 原田佑祐氏
  『
徳川五代将軍綱吉の発した 「生類哀れみの令」 は、世にも希な天下の悪法で、多くの人が苦しんだ事はよく知られている。
しかし、このお犬様に拘わって津山藩森家十八万六千五百石が、お取り潰しとなり多くの家臣が路頭に迷った悲惨な事件につい
ては、あまりにも知られていない。まして、火中の犠牲者となった家老関式部衆利が、備中西江原森家にお預けの身となり寺戸
の地で悲運の生涯を終えたことなど誰知る由もない。そこで、森家が拘わったお犬様事件についてそのあらましを述べる。
(中略)
  元禄八年十月十四日老中阿部豊後守をして、「生類哀れみの令」 により江戸郊外に広大な犬屋敷(野犬十万匹収容) の建
築工事を命じた。
 その工事とは、武蔵野の原野を拓いて中野に建坪五万坪と六万坪の大屋敷と三千坪の中屋敷二カ所、千坪、五百坪、三百坪
などの小屋敷多数、その総建坪数は十二万二千六百坪と言う全く途方もない大規模なものであった。而も、十二月二十四日ま
での短期間で完成せよとの命令であった。
 これを受けた森家では早速藩を挙げてこの難工事に当たった。ここで、津山藩悲劇の主人公家老関式部衆利がお犬様屋敷普
請奉行として登場することになる。
記録によれば「お犬様お屋敷完成まで(二カ月間)人足合計三万五千百三十九人」と記されている。かくして、期限の目十二月二
十四日、八百五十五棟の広大なお犬様お屋敷及び井戸百十七基が完成した。』
 その後の経緯を要約すると、津山藩主長成は藩財政の行き詰まりと生来の病弱によって元禄十年江戸屋敷にて逝去した。
長成には後を継ぐ子がなきため、先代城主長継の九男、関家へ養子に出ていた衆利が継ぐこととなる。
元禄十年七月、 衆利は幕府へ就任許可のため参府のために江戸に向かった。東海道桑名の宿に到着の時、江戸表より飛脚が
着いて家臣が犬舎で犬を殺傷し切腹をしたとのこと。この知らせを聞いて衆利は逆上、つけ役たちの計らいで帰国となったが、幕府
からは元禄十年、津山藩森家は世継ぎ無きにより家名断絶の命を下した。
かくして森長継は隠居料として備中国五郡のうちに所領二万石、浅口郡片島村に居を構えたが後に井原の西江原に移った。
長継の後、二代目を森和泉守長直が継ぎ播州赤穂へ国替えとなった。衆利はその間寺戸の館で悶々の日々を過ごし、寛永二年
(1625)十月三日、享年三十三才で悲運の生涯を閉じた。

墓碑銘」 正面 壽仙院殿鶴林全松大居士 東面 宝永二乙酉年十月三日 西面 俗名 関式部 衆利
 標柱は津山からの墓参者が建立 「関衆利公墓碑」 裏面「望郷の公に捧げん夏椿」 植樹された夏椿とは沙羅双樹のこと、
 いつしか枯渇したと云う。戒名にある「鶴林」とは森一族が津山に入る以前は鶴山という土地であった。終焉の地は津山に非ず、
また己が幽閉の地に斃れ葬られた無念さが漂う墳暮だということが400年の歳月を経た今も伝わってくる。
  

位置図: 井原市野上町才児(さいちご)
 津山藩と森一族Wekipedia
美作国は慶長5年(1600年)関ヶ原の戦いの後、岡山藩主・小早川秀秋の領有するところであった。   慶長7年(1602年)秀秋、無嗣子で死去により廃絶となる。慶長8年(1603年)信濃川中島藩より森成利(蘭丸)の弟森忠政が美作一国18万6500石にて入封し津山藩が立藩した。この地は従来、鶴山と呼ばれていたが、忠政により津山と改められた。翌慶長9年(1604年)より美作の府庁として津山城の築城に着手し、元和2年(1616年)に完成した。この間に津山の城下町も整備され藩政の基礎が築かれた。
元禄10年(1697年)4代・長成が死去し、末期養子として2代・長継の第24子で家臣となっていた関衆利が迎えられた。同年、衆利は継承挨拶のため江戸に出府途中、伊勢で発狂したため江戸幕府は美作津山藩を召し上げた。
森氏は長継が健在であり、またその子も多数居たため 、長継が備中西江原藩(2万石)、長俊が播磨三日月藩(1万5千石)、関長治が備中新見藩(1万8千石)にてそれぞれ立藩した。
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 ①森忠政(1603-34)--②長継(1634-74)--③長武(ながたけ1674-86)--④長成(ながなり1686-97)--⑤衆利(あつとし1697)断絶となる