高越山の山裾に建つ「刀工女國重宅阯」
 後方建物は「東平井公民館」、自然石は「地神」、地蔵尊石像は「万人講」
訪問DATE: 2009 03 17 

 井原市東江原町の東平井公民館前に建つ碑石、昭和17年(1942)に後月郡教育會により建てられたもの

刀工女國重宅阯 ⇒ 大月源その画像と略歴

 井原市東江原町東平井の道路脇に「刀工女國重
宅阯」の石碑がある。
日本で唯一人の女刀匠である「大月源」を示す石碑
である。 お源は16歳で父の大月伝十郎に死別、伯
父の伴十郎に引き取られ、又七郎国重から12代目
の甚兵衛国重と結婚した。ところが、甚兵衛は病弱で
鍛刀は無理だった。伴十郎も病弱で、お源が21歳の
ときに死亡した。 伴十郎は、死期の迫った病床へお源
を呼び『わが家は、北条早雲一族の高越城主に仕え
代々、鍛刀の術を伝えてきた。わしの代で断絶すれば
祖先に申し訳ない。女の身は辛かろうが、精神をこめて
鍛錬すればできないことはない。是非祖業を継いでく
れ・・・』と遺言したと言う。 それからお源は鍛刀場にこ
もって一心不乱の修行をした。そして作品は短刀がほ
とんどあったが秀作も世に出せるまでになったと言う。
(以上、「ブログ井原の熱い季節」どのより転記)
なお井原在住のブログ作者によると、
大月源の生家ちかくに「天神さま」があり、願かけに
通ったということですが、今は寂れている様子、何十年
も前には子供の相撲大会が奉納されたとか。

2009/03/17 Created
 「万人講」の石像の側面には、「施主 大月源 大月茂 造つ」と読める文字が刻まれている。表の文字は読みづらい。
 地蔵尊と牛の浮き彫りがあって、その下に「北智勝? 亡牛供養 ?法泉寺」と読んだが定かならず。
 石の古さからも大月源さん(1733-1808)の時代の建造とも思えない。また、その傍に建つ「地神」碑のとりあわせは偶然?
 小田川沿いの県道486号から北上し井笠鉄道の高架をくぐってこの碑につづく道端には石灯籠(奉燈)が建っていた(右の写真)。

 

位置図:井原市東江原町



国重由緒(左)と鍛冶心得大意(右)

大月家の祖先は伊予河野氏であり、代々刀工として名を残している。
大月源は大月家最後の刀工父伴十郎の死後、跡を嗣ぐ。父伴十郎
は九代目とも十一代目とも云われるが定かではないようだ。
鍛冶心得大意は、
「凡そ刀剣は神代より肇て本朝無双の兵器なり。是を鍛う人、尋常
の如く心を用いて名剣を鍛え出すことあらんや、抑々剣は陰陽五行
の徳全く備わり鍛冶の精心青雲の上に在て仁義智精々ならずんば
何ぞ上作といわむや。故に第一、鉄の善悪を選ぶべし、悪しき鉄を
鍛えんに何べん打かえし鍛えればとて、悪所変じて善ならむや。」
この後、第二が木(炭)、第三が火、第四が土(泥)、第五が水。。。
金木水火土の五行、過不足の違いなく陰陽の精全く備わって陰陽
和合したるを上作とも名剣というべし。
                    (落合保之氏著「おげんさん」より)
 2012/06/01 大月源さんの実家訪問
  ↓ 大月家墓所                   ↓ 大月家は高台にある。前方は小田川堤     ↓ 源さんも使ったという井戸が現存
     
  源さんが仕事中に再三参ったという社は墓所の裏山にある。鬱蒼とした小径を登った処、急傾斜道につき訪問を断念す。                  (2016/01/31 更新)































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