井笠市西江原地区の地神柱2基
 五角柱地神碑発見(甲山八幡神社と足次神社)  2011/01/22
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甲山八幡神社の入り口大鳥居の脇
今市の足次神社(あしつきじんじゃ)の参道をはずれた山際
 標準的な次ぎの五神名が刻まれている。
天照大神五穀成就、大己貴命、少彦名命、埴安媛命、蒼稲魂命
地図との照らし合わせでは天照大神も南面を向いて鎮座している
ようで、五角形の二段基壇も立派で、これが井原スタイルなので
あろう。神社に寄せられているのはどこからか移設と思われる。
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甲山八幡神社 ⇒ ClickHere
 本神社は、口碑によると神功皇后が新羅から御帰還の時、
祭祀を行われたという。また、吉備津神社72社の末社の一つ
と伝えられている。
建久元年(1190)8月、那須小太郎宗晴が先代の神明加護の
奉賽として勧請し、甲山八幡宮と称した。
建長2年那須宗次が再建。寛正元年改修。天正4年社殿改築。
慶長10年、寛永5年、貞享3年、元禄3年、宝暦4年、明治4年
8月にそれぞれ修復及び改築を行った。
明治40年1月神饌幣帛料供進神社に指定された。昭和11年
10月社殿改築。昭和21年1月郷社に昇格した。
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2011/02/07
 今市(東・中・西町)で祭られてきた。元位置は字山本に在って
昭和54年3月28日にこの場所へ遷座した。その理由は村に山崩
れが起きて道路をつくるためであった。(「井原市史・民俗編」より)
 この碑も標準の基準(五神名と設置方位)を満たしている碑石。
場所も神社参道の脇という境内にはずれた位置に建っているの
は左の甲山神社脇の碑と同じ様な扱いに見える。特長として、隣に
無地自然石碑と並んでいる、天照大神の神名の下に「五穀成就」の
四文字が彫り刻まれていたことである。
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足次神社(あしつきじんじゃ)
 式内社調査報告によると、式内社・足次山神社の論社とされ
ているが、足次山神社の『神社明細書上控』では、慶応年間に
川上の天神山ヤシロ谷という所に鎮座する足次の神を合祀し、
その後の西江原に分霊を祀ったとしている。 
祭神は天須波神(あすはのかみ)
             -岡山県神社庁HP、式内社調査報告より-
<参考>
 旧郷社 足次山神社(あすわやま) ⇒ ClickHere

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2011/02/07
 この場所は今市東町、写真の左側の石は無印ではあるが地神
である。右側の五角柱地神碑は現在位置よりやや南の足次神社
入り口に在ったものをこの場所に遷座した。
(「井原市史・民俗編」より要約)
附近略図:井原市西江原町526-2 附近略図:井原市西江原町今市

 西江原町長谷の自然石地神碑(享徳二年「1425」癸酉十一月吉日)井原最古の紀年碑

2011/02/09
 『井原市史・民俗編』より引用
「「史談いばら」第十号に岸加四郎が「亨徳二年記銘の石碑」をのせている。西江原町長谷に「享徳二癸酉年十月吉日 立」と刻ま
れた石碑がある。享徳二年は室町中期の一四五三年であり、この当時の石造物は市内には数少ない。(同論文によると四基ある
となっている。)
 さて、この石碑と同じ台座の上に少し離れて地神碑(自然石に地神と刻む。年号なし)が並んで立っている。岸は「『記念碑』と『地
神碑』が同時すなわち亨徳二年十月に建てられたか否かは、その是非を考える資料はないが、法泉寺の造営完成と寺領長谷村
の成立という表裏一体の祝儀の記念として建碑されたとも考えられる」(前記論文)と、二基の石碑がほぼ同時期の建立と、疑問符
を付しながらも推定している。このことを根拠に「地神碑の建立が亨徳二年」とも言われている。
 しかし、言われるような古い時代のものではないのではないか。
地神碑の形態は、自然石 (高さ七九cm幅五二cmの丸形川原石、一部欠損)で地神と刻まれている。この形の地神碑は、市内は
もちろん、備中地方、県内にも多数あり、長谷の地神碑が他と比較してとくに異なった形のものではない。文字の刻み方も風化の具
合からみても他の地神碑とあまり相違ない。
 これまで備中地方を中心に調査した地神碑(自然石) で年号が刻まれているものが一五二基ある。そのなかで一番古いものが
天保二年(一八三一)岡山市高松であり、江戸後期のもの六五基、明治期七一基、大正期八基、昭和期八基となっている。
江戸期をみると一八三〇年代七基、四〇年代十三基、五〇年代二一基、六〇年代二四基となっており、年代が下るにしたがって次
第に数が増えている。
 県内の地神碑すべてを調査しているわけではないが、今後古いものが出てさても、県内で一番古い山手村の地神碑(石製の社形
で「奉稲魂倉社」「文化五戊辰八月吉日」(一八〇八)と刻む)までさかのぼるものは、あまり出てこないのではないかと考えられる。
長谷の地神稗も県内の状況などからみるかぎり、どんなに古くても江戸末期のものではないだろうか。」

 写真右の自然石地神碑の左の石に「享徳二癸酉年十月吉日 立」と彫られているらしい。
当日は知らずに見逃した。この碑は三叉路に建っていて、右側の写真に写っている道標と地神碑が交叉部で向き合っている関係だ。
道標(道しるべ)には「西井原 北頂見 南今市」と彫られている。写真で右から中央へ伸びている道路が頂見〜井原道路で、写真の
手前が今市への道路。井原市域で享徳〜天保の約400年の間の年号が全く発見されていない点を考慮すれば、岸翁説よりは井原
市史・民俗編集チームの見解が的を得てるように思えるが、事実はどうであろうか。
井原から頂見へ抜ける道路は那須与一時代から通じていたであろうし、今市と結ぶこの三叉路は基幹道路であったはず。いま一度こ
の場所を訪れる必要がありそうだ。

附近略図:井原市西江原町長谷
西江原の地神碑2題0000.jpg