芳井支所の説明文
『正霊山城跡(?は不明・判読文字)
標高50mのところにあり。
本丸跡は東西55m、南北約145mの回字型です。
二重の空濠があり武者走り、採(?)石を貯えた(?)倉の跡や南北に大手門があった跡が残っています。
1470年(文明2年)ころ戦難をさけ、藤井?玄ら一族は中山城主河合重行を頼り、西吉井坂本の有井城に居住後、次第に勢力を得て正霊山城を築きました。
藤井皓玄は正霊山を根拠地として、井原、大江、高屋と勢力を広げ1570年(元亀元)ごろ神辺城を攻略しましたが、まもなく大島(現笠岡市)へ追われ討たれたといわれています。
井原市指定重要文化財
指定年月 平成17年3月
井原教育委員会』
芳井の山城跡、『正霊山城』
戦国武将、藤井皓玄の居城
2009/03/17
芳井支所の職員の方に道ゆきを聴く。写真1枚目の右隅にみえる白い建屋が井原市役所芳井支所で、
左側の道路には「城ケ端通り」の表示と案内版があった。が、、、案内版の文字はかすれて読めない状態。
写真の左上にみえる山が地元では「城山」(じょうやま)と呼ばれているようだ。ここに今は太子堂があり
山の中腹に屋根が光っている。皓玄はこの場所に居城を構えたという。
写真2枚目、別の角度からみる「城山」。民家の間をくぐって上り、太子堂をのぞくと、「土佐第26番西寺」と
石に刻まれた文字が読めた(高知県足摺岬の「金剛頂寺」のこと。どんな関係が?)。
この太子堂からの眼下の眺望が写真4枚目。四囲は山にかこまれており、戦国の山城としての見通しは
悪い。せいぜい城に攻め上ってくる敵軍の動向が見える程度か。水の調達も難しいだろうこんな場所に、何
故の城だと思わざるを得ない。
広い道路に降りて、「正霊山」をめざす(写真5枚目)。「城山」とは尾根つづきの50m級の小丘だ。
近所の方から頂上には神社が2座あるという情報をゲット。畑の畝づたいに昇ると眺望が広がる(写真6)
さらに上を目指すと鳥居がみえてくる。扁額には「聖霊宮」とあった(写真7枚目)。参道は未整備で山肌の
まま、岩盤が露出し、雑木の根っこが岩に食い込み巻き付いている。
鳥居の奥には随神門があり、一対の人形が鎮座していた。その奥に拝殿と本殿があった(詳細不詳)。
地元の方の情報どおり、本殿の裏側には上り口があり頂上までつづいている様子。さらに登る。そして山上
写真8枚目、「山上堂」(さんじょうどう)なる寺があった。本尊、宗派、縁起など不詳、雑木のため視界不良。