当時のMap(大正〜昭和初期) ⇒ClickHere        現在の位置図:笠岡市伏越
伏越二題 <書籍の紹介> 2011/08/25
   
 ちくま書房から出た
書の表紙を伏越の
景観が飾ってはいる
が本文はなし。(?!)
期待はずれの書で
ある。読まずに積ん
だ。著者は木村聡
さんとか。。。
こちらは地元青年
会議所発刊書、「
ふるさとを語ろう」
に掲載された、
「消えてゆく”色街
の面影」著者は
大月康志さん。
内容も素晴らしい
 
大月康志氏著書より引用 

 「笠岡の街を東西に貫通する国道二号線の古城
山遂道の東口に渡船場がある。
ここが伏越港であり、明治初期に栄えた処である。
この港から山合いにかけて、笠岡の遊郭があった。
遊郭とは昭和31年5月24日(1956)に売春防止法(
ばいしゅんぼうしほう、法律第118号)施行まで、お
上が公娼を置く場所として区画をおこなった地域で
あり、治安・風俗の取締上一般の地区から線引き
を行って為政者たちがその管理下に置いてきた。
伏越にやってきた遊女の多くは九州方面の女性が
主だった。なかでも天草方面が多かった。
伏越全盛の頃には廓は14〜15軒が建ち並び、遊
女の数は70〜80人を抱えていたという。
朝日楼・勇貴楼・豊川楼・月見楼など、また彼女たち
専用の検診所も設けられていた。」

「伏越では夕方になると、竹さんというおじいさんが
豆腐屋の振り鳴らすおなじ鈴を鳴らして通りを歩く。
娼街稼業の始まりを告げる合図である。また、竹さ
んは夜の十時にも同じく鈴を鳴らして歩くのである。
それはその時刻が「花」を告げる合図なのである。
「花」とは時間であがった客に代わって、泊まりの客
を引き込む時報のこと。」

熱気が立ちこめる娼街の夜気にカラ〜ン・カラ〜ン
と遠くまで響いたことだろうが、時間であがったお客
には何とも気ぜわしく、無粋な督促音であったこと
だろう。

伏越の洋館「岡部医院」 昭和の残像(1) ⇒ つづき
  
町かどには初夏にちかい日射しが降り注いでいました。

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2008年5月26日