資料出所:新谷進氏1960年代撮影の龍王山
       山頂に大松が見える


「八大龍王善神」を祀る社


祭神は「善女龍王」で女神なの?

地名考

八大龍王出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』


 『八大竜王(はちだいりゅうおう)は、天竜八部衆に所属する竜族の8王。法華経(序品)に登場し、仏法を守護する。古代インドではナーガという半身半蛇の
 形であったが、中国や日本を経て今の竜の形になった。
 昔から雨乞いの神様として祀られ、日本各地に八大竜王に関しての神社や祠がある。

一般的に次の順に番号がふられている。

1-難陀(なんだ - Nanda)訳:歓喜
2-跋難陀(ばつなんだ - Upananda)訳:亜歓喜。難陀の弟。難陀竜王と共にマガダ国を保護して飢饉なからしめ、また釈迦如来の降生の時、雨を降らして
 これを灌ぎ、説 法の会座に必ず参じ、釈迦仏入滅の後は永く仏法を守護した。
3-娑伽羅(しゃから - Sagara、沙掲羅、娑羯羅などとも音写)訳:大海。龍宮の王。法華経・提婆達多品に登場する八歳の龍女はこの竜王の娘である。
  また善女龍王(清 瀧権現)も娑伽羅の娘(第三王女)である。
4-和修吉(わしゅきつ - Vaski)訳:多頭、九頭龍。多頭龍ともいう。九頭一身の竜王で、須弥山を守り細竜を取って食すという。
5-徳叉迦(とくしゃか - Taksaka)訳:多舌現毒。この龍が怒って凝視された時、その人は息絶えるといわれる。
6-阿那婆達多(あなばだった - Anavatapta)訳:無熱。阿耨達(あのくだつ)竜王ともいい、阿耨達池に住し、四大河を出して閻浮提(えんぶだい)を潤す。
  菩薩の化身として尊崇せられた。
7-摩那斯(まなし - Manasvin)訳:大身、大刀。阿修羅が海水をもって喜見城を侵したとき、身を踊らせて海水を押し戻したという。
8-優鉢羅(うはつら - Utpalaka)訳:青蓮華、黛色蓮華池。優鉢羅華を生ずる池に住すという。 』

八体の八大龍王像: 雲を呼び雨を降らす・井戸の神・商売繁盛・事業繁栄・漁業、水産加工業、農業守護・飲食業守護・芸能守護・接客業、
               各種サービス業守護の功徳がある。

八体の八大龍王像
難陀竜王,跋難陀竜王,娑伽羅竜王,和修吉竜王,徳叉迦竜王,阿那婆達多竜王,摩那斯竜王,優鉢羅竜王,
瑞雲作(八体一組) 木曽檜木地仕上げ ⇒ 総丈台座から竜頭まで18~21cm 1,500K円 ⇒ 写真あります(Click Here)

☆「多賀権現宮」こと「霧見神社」笠岡市相生1068 写真(ClickHere

 笠岡インタを南進し、追分交差点を右折、相生のトンネルを抜けると吉浜へ向かって下り勾配となる。この道路の右側、斜面の岩場にへばりつくように
「霧見神社」が鎮座する。創建は旧く、正暦年間(990-995:笠岡市史より)、元は「多賀権現宮」と呼ばれていた社が明治以降「霧見神社」と改名。
主祭神は伊弉諾命・伊弉冉命の二神。
権現とは、神の神号であり、仏教が興隆した時代に表れた神仏習合思想の一つで、日本の八百万の神々は、実は様々な仏(菩薩や天部なども含む)
が化身として日本の地に現れた権現(ごんげん)であるとする考えであり、これを本地垂迹(ほんちすいじゃく説という。

例えば、「天児屋根命」は、天児屋根命を祀る神社である春日神社(春日大社)の祭神であるから、「春日権現」と呼ばれるが、「天児屋根権現」という
言い方は存在しない。また同じ神を祀る神社であっても、神社によってそれぞれ独自の神号をもっている場合があることからも、権現が神社を主体とし
た捉え方であることは窺えよう。実際、「春日権現」のように「~権現」となるのは神社名であることが多く、また「日光権現」(栃木の日光にある二荒山
神社の祭神)のように神社がある場所の地名を用いることも多い(神社名自体が地名によることも多い)。
「多賀権現」とは如何なる神社の勧請なのであろう?

景色考

八大龍王善神: → 「かさおかふるさとガイド」参照
 
 「はじめ西浜城(ようすなじょう)にいた陶山氏が、笠岡のまちづくりとともに市街地の西にそびえる竜王山に移ってきたという。
陶山氏はいまの威徳寺のあたりに居館を置き、スサキの方向に流れていた隅田川を、城の堀の変わりに巡らせるべく、つけかえたとも伝えられる。
現在竜王山の頂上には八大竜王善社があるが、そのあたりが城の本丸だったのかもしれない。
笠岡の市街地を見下ろせる絶好の場所だったはずである。
なお、竜王山は雨乞い祈願の地であり、以前は山頂に松の大木があったが、今は枯れてない。」

 日本における雨乞い事蹟は旧く飛鳥時代までさかのぼるという。
最古の記録として平安時代に編纂された仏教史書『扶桑略記』の推古天皇33 年(625 年)の条に、『高麗僧恵灌に命じて雨乞いの儀式を行わせた』
という記述がある。
弘法大師・空海が祈雨法を修した神泉苑は風水でいう龍穴とされ、その際に善女龍王が出現したといわれている。
この善女龍王(清 瀧権現)は八大龍王のうち第三番目の龍宮王である娑伽羅龍王の娘(第三王女)であるとされる。

笠岡・西浜・木之目にひろがる竜王山の「八大龍王善社」とは龍神でも女神の善女龍王を祀っているのかもしれない。

そのむかし、笠岡の八幡平から竜王山を越えて西浜へおりる道とと塚ノ谷~大河へぬける道が浜街道以前の古道として利用されていた。
いまでも笠岡側からは西本町の天神社から井戸公園の朱塗りの木橋を越えてこの神社までたどりつく道がありそうだが、八幡平で畑仕事
をしていた土地の方に道を尋ねると、笠岡側からのぼるのはムリだという。前に井戸公園まで散策したときのこと。

代わりに教えられた道が相生墓苑からのショートカット。
墓苑までは車でのぼりあとは歩き、なかなか出向くチャンスがなくて延び々になってはいたが、2008/07/03 やっとたどり着いた。
雨乞い祈祷が専権事項の社とあってどんな特徴があるのか興味深かったが、社殿は改装されており古の名残はあまり感じ取れなかった。
また、西方よりの市街地眺望の期待も境内の雑木が生えるがままに放置されて視界をさえぎり、鬱蒼として眺望の空間は閉ざされていた。

帰宅後にネットと「市ガイド」(以下引用す)でこの周辺地域に残る「雨乞い」検索でみつけたこと。⇒ チャレンジわぉ~く!!

 龍王山(▲267.4m山口): 
 、【別名仏石山 ▲260m】 笠岡十名山のひとつで頂上からのながめは絶景。
この山は「雨乞い」をする山で、旧新山村では日照りがつづくと山頂に登り「百貫焚き(ひゃっかんだき)」の修行をおこなった。
麦わらを焚き、炎と煙で水の神「八大竜王」を怒らせて雨を降らそうとした。百貫で降らねば千貫とした。
すると不思議なことに、雨が降ってきた、とか 何日に降らせると予告してきたとか、木山捷平の文学「父よりの手紙」に書いてあるとか。

 龍王雨乞いの神事(有田): 
 有田八幡神社の奥の院として「竜王神社」がある。
 この社の祠の下の台石(幅50センチメートル高さ20センチメートルに大和酒船石とおなじ窪みと溝が彫られている。
 台石の下には甕が埋められており、毎年6月には氏子たちによって水瓶の水を清水にかえる神事がおこなわれている。

③ 八大神社(茂平): ⇒ Click Here 
 八大龍王の石。
 境内の一隅に無造作に置かれた卵型の自然石だが、雨乞いの神事のときはこの8個の石を立てるという。
 平時に立てると八大竜王の怒りに触れるので石は起してはいけない、ということで寝かしたままだ。
 土地の人の話だと、雨乞いよりも降雨と高潮とで干拓の締め切り樋を越えて海水が流れ込んできて水害、の記憶のほうが鮮明だと聞いた。
 
④ 竜王山(▲124.1m)絵師
 地図にも出ていない山。
 応神山山系として、笠岡十名山探求会の発行する「應神山登山ルート図」に発見。

江戸時代の干拓によって拡張した水田・畑地等の総面積が約300町歩(およそ300ヘクタール)。
締め切り工事が終わっても治水の問題は風水害、堰の決壊、河川の氾濫等、常に克服すべきハードルとして移住してきた人々たちを悩ましてきた。
八大龍王たちが雨を降らせすぎても人は困る。
考えてみれば人側の勝手ないいとこどりの理屈ではあるが、治水と灌漑はいつの時代にも大きなテーマであり続けてきた。
この21世紀には「水」問題が地球規模にまで拡幅されて世界中の国々を席巻し、先進国ですら対応に苦慮し地球60億の人が苦戦を強いられている。

No. 表題 Title   内容 Contents
001 八大龍王善社への道 歩きののぼり口は相生墓苑駐車場  画像みる    ↓
     


 
 夏祭りであろうか?
参道の立ち木に注連縄が張り巡らされていた。


002  八大龍王善社の 標 柱  画像みる    ↓

  境内の下草は人の手で刈られていた。
左奥にみえるのが拝殿でコンクリート製だった。
☆2008/10/15 『おやこんなところにこんなものが』 by 郷土史愛好グループ編
 注連柱の前方に見える小祠は「降三世夜叉明王」を祀る。
 降三世夜叉明王とは、三面八臂(顔が3個で手が8本)の仏で五大明王の東を担当、本地仏は薬師如来、阿閃如来。
 欲・色・無色の三界と過去・現在・未来の三世の敵と貪・瞋・痴の迷いを征服すると言う意味で降三世といいます。

003
八大龍王善社の 神 柱 画像みる    ↓


 詳細不詳の八大竜王善社:
 
 
いまのところは、記載情報の不足です。

☆2008/10/15 『おやこんなところにこんなものが』 by 郷土史愛好グループ編

 『笠岡の竜王山の山頂には一本の大松があり「雄龍」と呼び、そこから嶺つづきの小高い所、西浜分に「雌龍」と呼ばれる大松があった。
 それぞれの松の根元には「龍神」が祀られていたが、今は松も二本とも枯れて残っていなが、雄龍王はブロック造りの社殿となり、「八大竜王
 善神」と彫られた石柱が建てられた。社殿に向かって右手には「降三世夜叉明王」を祀る小祠がある。
 毎年正月の三日の朝には信者が集まり、「護摩」が焚かれ古い「お札」・「御守」を燃やす行事が続いている。
 昔はこの社から少し離れたところで「マンド」を焚き、降雨・止雨を龍神に祈った。 雨乞いの行事は、ここ「龍王山」と東の「まんど山」(加入堂山)
 と年ごとに交互で行われてた。

 この龍王山は西浜に城を築いた陶山氏の拠点だったところ。威徳寺の辺りに居館を置き、南西の「小太郎丸」や「北八幡宮」のあたりまで城郭と
 して整え、スサキの方向に流れていた隅田川を城の堀がわりに巡らせたと言われる。当時は南の天神社(威徳寺の隣)の下あたりまで海が迫り
 舟による往来だったと思われる。
 いずれにせよ「笠岡山城跡」には何も残ってなく、わずかに龍王山東側の中腹のNTT反射板あたりに数十個の大石がある。これが当時の見張り台
 の土留石だと言われている。』


004
霧見神社境内の「地神」碑


霧見神社境内の碑
  この碑の周辺は不思議なことに緑がない。背面の山は自然石が露出し、境内はコンクリートで舗装され、隣地の畑は畝だけに
野菜の緑があるだけだ。
「地神」は村境にあって越境してくる疫病をさえぎる大地の力のイワクラ機能があるように思える。
この台座に載った自然石は元々この場所にあったのか、あるいはどこかの路傍にあったのかは解らないが、周りの景色にとけ込んで
霊験をかんじさせるお姿だった。

2008/12/31更新 2008/07/03