胡同 その1 (11月25日つれづれ日記参照)
(フートン)
胡同の語源はモンゴル語の井戸だという〔xuttak〕。
「大都」と名づけモンゴル人が住むようになって井戸を中心に住居をかまえた。
それで井戸が横丁の意味になったという。
「王府井」や「三眼井」「甜水井」「苦水井」など井戸にちなんだ地名も多い。
「大都」を囲む城壁が完成して、住民が金の旧城から移り住んだのは
元代の1285年ということだから、胡同は700年の歴史があることになる。
村より大きい集落をモンゴル語で「ホト」ともいい、これが「胡同」になった
という説もある。ハルピン、吉林、天津などにも「胡同」という地名が少なくない。
(竹内実著 北京より)
胡同の門 (木製の花型 2個)
この花飾りの数は家の格を表している。この数によっ相応の縁談がすすめられたとか。
胡同ツアーの輪力車の列
門前の石の置物 武官の家は丸い形
今の政府になってからも北海公園近くの四合院には
門前の石の置物 文官の家はは四角い形
四合院という中国独特の形式の家に一族郎党が住んでいた。
清代、高官は東城区に貴族西城の胡同に住んだそうである。
政府幹部たちが住んでいたという。
ここは高級住宅地というわけである。
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花形 2個 ここは4個 大金持ちか高官か(みやげ屋さんたち)
花型 2個
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新国家建国後、住宅難のため一つの四合院に5.6家族が肩を寄せ合うようにして 幾つもの家族が住む為、中庭部分に台所、風呂などのバラックを増築してしまって、
住んでいる。一人当たりの住宅面積はわずか5,3平方メートルの人も多い。
その姿を変え、昔の面影を残す四合院はすくない。
今は偉い人の故居か保護された場所しか見ることができない。
路地
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鼓楼近くの胡同
胡同の生活
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この方は満洲族 お孫さんの住む部屋
御祖父さんは清代の文官だったそうで、以来ずっとここに住んでいるとか。
今は一つ四合院に他の家族も住んでいる。
区画整理でもう直ぐ立退かねばならないと寂しげだった。
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別の家族 切干大根
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別の家族が中庭に建てた部屋 改修した時出た瓦
練炭が積んであったけど、まだ使用していいのかな?
后海付近
銀定橋
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おっしゃれな民芸品店
ここは夜になるとちょっとした歓楽街になる。
赤、青のネオンまたたくバー街になり、最近は三里屯よりも
賑やかになったとか。后海の水辺のお酒はなかなか風情があるようだ。
胡同その2 につづく
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