秋田越え漫歩会
藩政時代から明治時代半ばまで、宮城県旧文字村、旧沼倉村、秋田県皆瀬村の人たちが背負子(しょいこ)に荷を背負って交易を行っていた。 宮城県側からは、主に三陸沿岸で採れた海産物を、秋田県側からは、漆器などが運ばれた。 これは、仙北街道またの名を羽後岐街道と言って、背負子たちのみならず、旅人、商人も常時往来し、街道沿いの旅籠は賑いを見せていた。 明治15・6年頃に花山越えの街道ができ、旅程が8キロ余り短縮されたため、利用されなくなっていった。
(文字柿ノ木の御番所跡)